視聴文研
随分と遅くなってしまったけれども先週の研究会に関して。
id:nobu0125(プライベート・モードになってるけど)による筋肉表象の発表「イメージのなかの身体―20世紀初頭フランスの身体表象についての考察」は、身体に関する複数の表象のモードがどのように関わりあっていたのかが詳らかにする必要があると思う。特に、前提で述べていた、近代的な「従順な身体」との関連性に関する考察は必須だろう。
「「没入感」と「浮遊感」――《ディヴィナ・コメディア》(1991年)におけるヴァーチャリティとリアリティ」に関して。ヴァーチャル・リアリティとしての特徴として語られるものとして、「没入感」あるいは「浮遊感」といった語句によって語られうる側面があり、それに対して《ディヴィナ・コメディア》は、こうした点とは異なったアプローチ――臨死体験のような――を試みているのではないか、というもの。質問にあったように時代的なコンテクストも考慮に入れると面白いと思うし、一方で、VRを経験するに至るコンテクストもまた重要だと思う。《ディヴィナ・コメディア》にしても、着替えて部屋の中に入り階段登って横たわるという一連の儀礼的な振る舞いが伴っているわけだし。
最後の「初期テレビジョンにおける「公開実験」研究―科学技術社会論/メディア論からの展望」に関して。前半では、戦前期におけるテレビ公開実験の様相、後半部ではこうしたメディア史研究が今日における実践研究といかに関わりうるのかを論じる(問題提起する)ものだった。こうした問題定期は、例えば美術史研究と同時代の美術制作の現場の間にも見て取られるべきだと思う。個人的にもこうした問題とは不可分な状態なので、いろいろ考えるヒントを貰えた感じ。