モノ化する母校

昨日、弟が「ヒカリノカケラ」という写真集を買ってきた。僕と弟が通っていた高校の旧本館は、老朽化を原因に2002年に解体されたのだが、その直前に撮影された写真で構成された写真集。撮影された方は、写真家の水野真澄さんという方で、昭和52年に卒業された方で僕らの先輩に当たる方。全体を通してみると、断片的な写真が多い。階段の片隅や、印象的な丸窓、さび付いた鍵や窓枠。全体的に薄暗く、印象的な柔らかい光が照らし出す、廃墟化する直前の校舎。印刷はインク下の白い紙が透けて見えそうなくらいに、色味が極端に押さえられており、写真そのものも消えてしまいそうな印象を受ける。写真を「見る」ということは、撮影された過去の時間と、観者の記憶とが重なりあう経験である。そして断片化された教室の細部を触媒に、読者の記憶が結晶化する。写真集の最後の写真では、まさに解体作業に入った校舎が捉えられる。消え入りそうな印刷でかろうじて紙面上に定着された消え入りそうな旧本館は、物理的に姿を消そうとする。けれども写真集を開くたび、蘇り、また消える。過剰なまでにノスタルジーな写真集。

また、解体された本館は、現代美術作家の伊達伸明によって写真集とはまた異なったモノとなっている。伊達伸明は、取り壊しの決まった建築の廃材の一部を使ってウクレレを作るという、「建築物ウクレレ化保存計画」を2000年にスタートしており、2004年には作品集として出版されている。作品集の春日丘の冊子には、ウクレレを手ににこやかに微笑む、美術のM先生と音楽のK先生が載っていたりして面白い。

作品はこんな感じ。春日丘高校は、下のリンクの上から二つ目。

旧本館という建築物が、写真集、ウクレレという「モノ」へと姿を代え保存され、視覚的、聴覚的な触媒になりノスタルジーを誘発する。
そういえばと思い出し、昔のデータを探すと出てきた。僕自身が、本館が壊れる前に撮った写真。撮影している時に、不審者と思われ教頭先生に尾行されたのが懐かしい。

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※サムネイル表示。クリックで大きいのが見れます。

ところで、この春日丘高校、実は旧本館の屋上には、空襲時に爆撃された弾痕が残っており、しかもその爆撃の様子が、米国の戦中機密情報が順次公開されたことにより見ることが出来る。ウェブにもアップされている。自分の母校が爆撃されているところを見るのは気持ちよいものではないけれど。

どうでも良いけど、今回春日丘で検索して色々みていると、ヤノベケンジが春日丘出身であることを初めて知った。これは驚き。