アサヒカメラ

昔のアサヒカメラを順番に見ている。まだまだ先は長いけれど、じっくり見るよりも、ザザザッと見たほうが投稿される写真の雰囲気とかも、直観的に判断できる。図書館の書庫にこもっているのだけれど、古い号になると、記事自体の文字がかすれて読めないものが多い。あとは落書き、切抜きが多い。本は大切にしましょう。
15年戦争以前の号などを見ていると、非常に面白い。いわゆるサロン写真的なものが多く、取り上げられる海外の写真かもマン・レイとかブラッサイとか。金丸重嶺が欧州旅行中、マン・レイに会ってきたという記事があったり。ちなみに通訳は岡本太郎だったそうだ。他の記事とかも見てみると、カメラというものが本当に道楽だったんだなぁ、というのが良くわかる。ある号では過去(原始時代とか)、未来のカメラを想像するといった漫画があった。カメレオンカメラ――印画紙にカメレオンの息を吹きかけるとカラーになる――といったものとか、性能まで写るカメラ――電球を撮った写真は光る――とか想像力のたくましさに思わず笑ってしまった。カメラというものがどういうものとして受け入れられていたのかというのが垣間見えて面白い。それが、37年の終わり、つまり日中戦争勃発以降、戦争写真が現れ、報国写真が唄われ始める。そのような緊張感のある写真と、それでもまだ掲載されるサロン写真が並列されて、異様な誌面になる。