プライス・コレクション

ゼミの見学会で京都国立近代美術館で開催中の、プライスコレクション展を見に行った。展示換え以降の閲覧だったので全ての出展作品を見ることが出来なかったのが残念だったのだけれど、悔しいくらいに見ごたえのある作品が数多く展示されていた。二時間あれば大丈夫だろうと思っていたのだけれど、じっくり見すぎて全然足りなかった。また改めて行きたい。
ただ、近代美術館ゆえの構造で仕方が無いのかもしれないが、本来なら右から左へと見ていく屏風を導線の都合上左から右へと見なければならなかったのが違和感あった。鳥が飛び去っていくべきところがこちらに向かって飛んできたり。もちろんその屏風が左右に並べられるべきものなのか、向かい合わせに飾られるべきものなのかはわからないので、違和感のもとは右から左へと見なければならないということを身体化してしまっている僕たちにあるのかもしれないが。
見たかった作品の一つ、長澤芦雪筆、≪白象黒牛図屏風≫
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後輩が研究対象として分析しているのでなんどかイメージは見ていたのだが、実際に見てみると随分と印象が違う。どうしても図録等のイメージでは平面的に見てしまうのだが、実際の屏風は折りたたまれて展示されるので、むしろ立体として三次元的な空間を作り出す。例えば白像の筒状になった耳は、平面図で見ると後方に垂れているのだが、実際は山となっているので、こちら側にせり出してくる。空間的にゆがんでいるような鼻も、同様にこちら側にグッと向かってくる。黒牛で印象的だったのが、眼。平面的に見ると左右の眼は互いにあらぬ方向を見ているが、立体的に展示されると、不思議なことに同じ方向を見ているようになる。その他にも黒牛の三角形の背中が強調されて見えたり、白像がのそっと画面右下から登ってきているように動きが感じられたりと、白黒大小の対比だけでなく、それ以外の新たな発見が沢山あった。実際にどういう配置でどこに飾られたのかが気になるところ。
あと、やっぱり応挙より若冲より芦雪が好きだなぁ。今日のもう一つの発見。芦雪の描く≪猛虎図≫(左)とか、≪軍鶏図≫(右)って写実的というよりもどちらかというと役者絵に近い。キッと身構えて、まるで見得を切っているかのよう。ちなみに当時虎は実物を見ることが出来ず、毛皮や絵でのみ知りえた。たんなる思い付きだけれど、もしかして誰かに毛皮を着せて描いたのでは?まるで≪猛虎図≫なんてタイガーマスクだ。絵を見ながらボソッと口にしたら前で見ていたおば様に爆笑されてしまったが。
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ところで、明日は心霊写真の話を聞きに行くのだが、芦雪も師匠である応挙と同じように≪幽霊図≫を描いている。
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これがまた面白い。この公式ブログの画像ではわからないが、軸の表装まで描かれているが、下部がぼんやりと消えていっている。見えることと描くことの儚さ。軸をかけようとゆっくりと広げていくと、消えている。芦雪に限ったことではなく、若冲などにも言えることだが、江戸時代におけるイメージと言うのは、もっと美術史的ではない考察の対象としても面白いのではないか。空間の捕らえ方、遠近法的な観点からすると物凄くいびつで空間がゆがんでいるのだが、それでもある種の整合性をもって画面に描かれている。そのことでモチーフ同士の位置関係や鑑賞者との位置関係がダイナミックに展開する。上からみたモチーフと横からみたモチーフが当たり前のように同空間内に共存する。他にも色々とありそうだ。