記念写真――試論

パリに旅行したときの写真と、先日の卒業式に写真と、と最近いわゆる記念写真を撮る機会が多い。そもそも記念写真とは一体誰に向けて撮影されているのかと言えば、将来の自分に向けてであろう。その記念すべき瞬間が過ぎ去った過去になってしまった近い将来においてその瞬間を思い起こすことを目論み撮影されるものだと考えられる。あるいはこうも考えられるかもしれない。つまり自分が今現在そこにいるという状況をイメージに留めておきたいという欲望の表れだと。いずれにしてもその瞬間を未来に向けて発信する行為であることには変りは無い。赤の他人の記念写真が一見凡庸に見えてしまうのも此処に由来する。記念写真は詩情性と結びがたいのである。凱旋門の前で撮影された集合写真や、ミロのヴィーナスの前でピースサインを送るポートレイト写真を如何にして楽しめるだろうか。――もちろん記念写真の類型としての興味はあるが――他人に自らの記念写真を見せるということがそもそもエゴなのである。