「SELF/OTHER--写真と肖像」@京都精華大学
思いの他沢山の方が来場されていて少々おどろいた。前半が理論側の立場から写真を語り、後半は作家の立場から写真を語るという構成のシンポジウムだったけれども、やはりというか、再確認したのは、僕が理論側にいるということ。いまさらだけれども。美術と言うものが作品そのもの自身が目的である<(c)横尾忠則>といった性質を持ちうるゆえに、作家が作品(今回の場合写真。作品としての写真であったり、記録としての写真であったり。)を語る際にそこには普遍性が無いといった現象が起きうる。即ち、作家が抱える問題意識に何かしらの共感を覚えない限りやや退屈な印象を受けてしまうのだ。逆に理論側の語りには説得させようと言う心意気があるわけで聞いていて面白いし、そこから自らの問題意識にオーバーラップさせることも可能。何でこんなことを書いたのかというと、京都精華大学には芸術科があり、必然的に聴講生の多くがそこからの人であったようだ。彼らは前半は退屈そうにして、居眠りしていたけれども、後半に入ると、やっとメイン!というような会話をしていた。どっちかというと僕はまったくの逆だった。誤解されると困るんで敢えて書くけれども、決して作家さん達の話が面白くなかった訳ではなく。特に今回こられていた小松敏宏氏と石原友明氏の話は両氏共に教鞭を振るっていることもあり語ることにも慣れており面白かった。けれども正直作品そのものにはあまり魅力を感じなかったのもまた事実として記しておこう。