写真を剥がし洗浄すること

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美学会@仙台へ。せっかくなので、新聞記者をやってる友人と学芸員の友人からの勧めもあり、学会三日目の午前中、前々から興味を持っていた写真洗浄をやってる所(閖上小学校体育館)に見学にいってきた。短い時間だけど微力ながらお手伝いをさせてもらった。急な訪問にもかかわらず、色々と話を聞かせていただいて、本当にありがとうございました。

お話を聞かせていただいた新井さんがブログで紹介してくれています。
2011-10-18:絆を未来へ!! がんばろう名取:So-netブログ

津波に飲み込まれた写真をもとの持ち主へと送り返すべく洗浄し保管すること、それが写真洗浄の一つの目的だろう。僕たちが作業している間にも、何枚かの写真が持ち主の元へと帰っていくのを目にした。全ての写真が持ち主の元へと送り返されるかどうかはわからない。当然ながら、ここにある写真は津波に飲み込まれた写真なのだから。
今回僕たちがさせてもらった作業は、泥水にまみれたアルバムから写真を一枚一位枚剥がして/抜き出していく作業。中にはもはや朽ち果てつつある脆弱な写真もあり、色が剥がれ落ちないよう、頭を悩ませ工夫しつつ剥がしていく。まったく像が消えてしまったものや、かろうじて顔が判別できるかできないかというところまで朽ちてしまったものすらある。薬品と泥水が混ざり合ったきつい匂いが漂う中でこうした写真の脆弱さに注意を払いながら、それと同時に、書き込みやキャプション、一緒に収められていたメモや手紙などを手掛かりに、持ち主が歩んできた人生の軌跡や様々な時間――出産、結婚、デート、遠足、転校(お別れ会)、アイドルのコンサート、卒業式、パーティー等々――を追想すること。マスクの隙間から入り込んでくるきつい匂いの中で、写真が媒介する幾星霜の時の淀みに寄り添うこと。
大量の写真に囲まれながらそうした作業を6人で2時間ほど。とはいえ段ボール一箱を片付けたにすぎない。ブログ等にUPされてた写真で以前の状況と比べると、僕たちが行った時には随分と整理されてたように思う。けれども、それと同時に、整理されるまでの膨大な時間と労力を考えるとちょっと目眩がする。