タイムマシン/タイムトラベル

先週末は、研究会「特集:タイムマシン/タイムトラベル」。タイムトラベルというのは、科学的な問題なのではなく、時間を空間として表象するという意味で修辞・表象に関わる問題であり、二つの時間のズレを表象するためには第三の視点が要請され、そうした表象の構築には、表象メディアの特性が深く関わっているといことが全体の要点。歴史的に見て見ると、19世紀後半のタイムトラベル物は、極めて大文字の歴史を参照しており、そこにはマルクス主義的なユートピア思想が色濃く反映している。しかし、質疑の時に質問したことでもあるけど、昨今のタイムトラベルを動機づけているのは、そうした「大きな物語」ではなく、ありえたであろうもう一つの人生の可能性を指向する個人的な「小さな物語」であるように思う。言いかえると、タイムトラベル表象の系譜において、タイムトラベルよりもむしろそこから生じるパラレルワールドの方が相対的に前景化しているのはないか、そんなことを考えた。