原爆と写真と

原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって

原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって


年度末、年度初めのドタバタにかまけて自身の研究が等閑になりつつあったので、危険を感じ久々に読み返してみた。鈴城氏は原爆=写真を語る上で、写真史的にあるいは原爆との時間的距離に応じて三組の写真家を取り上げる。まず第一章において語られるのはリアル・タイムに原爆を経験した世代として山田精三と山端庸介が語られる。この、初発の二人の写真家を語るにあたって、鈴城氏は「野蛮」という言葉を取り上げる。原爆が原因であることを知らない山田が撮影した「きのこ雲」を撮影した写真を取り上げ、そこに「原爆」という事後的な意味づけが生じる以前の「得体の知れなさ」を見出し、背後を横切る人物の足が写真家の意図とは無関係に写りこんでしまっている山端の写真に原爆と通底する「野蛮」さを見出す。第二章では土門拳東松照明が語られる。原爆を事後的に表象した彼らは、ともに原爆の痕跡であるケロイドにカメラを向ける。土門拳ヒューマニズムに満ちた「ヒロシマ」の「再発見」あるいは告発という形で「物語」をつむぐ。東松の「NAGASAKI」は、土門のアンチテーゼとして発刊されたものだ、と鈴城氏は位置づけるが、作家性の強い「審美」的な写真を撮る東松は、また別の「物語」へと誘発する恐れがあるとして批判的に捉えられている。第三章においては石黒健治と土田ヒロミが語られる。彼らは、原爆の記憶が風化しているという認識のもと撮影を行った世代とされている。彼らは、写真の「得体の知れなさ」や、表象し得ないという事態そのものの表象というように、「物語」からの逸脱の方途を探るという点において共通しているとされる。
ちなみに、山端の写真、おにぎりを手にした男の子の写真が、様々にトリミングされ変奏されることによって様々な意味を担わされてきたことを具体的なコンテクストに応じて検証したのが、これ↓。
過去は死なない―メディア・記憶・歴史

過去は死なない―メディア・記憶・歴史