コピーの時代

滋賀県立近代美術館にて開催中の展覧会、『コピーの時代』に行ってまいりました。この展覧会は同館の開館20周年記念展でありまして、普段よりもより一層力を入れた展覧会となっていました。
さて、本展では、『開館20周年記念展コピーの時代 ―デュシャンからウォーホル、モリムラへ―』という正式タイトルが明らかにしているように、マルセル・ドゥシャンというダダイストをその始原とし、「アプロプエーション」「シュミレーショニズム」等をその主たる創作手段としていた作家達を中心として展覧会は構成されています。

滋賀県立近代美術館では、6月5日(土)から9月5日(日)まで、『開館20周年記念展コピーの時代 ―デュシャンからウォーホル、モリムラへ―』を開催いたします。  現代の私たちの日常生活には多種多様な「コピー」が満ち溢れています。昨今のめざましいコンピュータ技術の進歩により本物と寸分違わない精巧な写真や印刷物の複製が次々に生み出され、さらには遺伝子操作によりクローン羊が登場するなど、その勢いは今後ますます加速するように思われます。  美術の領域では、これまで作り手の独創性やオリジナリティーが重視されてきました。しかし、過去の様々な様式を流用し再構築するいわゆる「ポスト・モダン」の到来以来、このような状況に大きな変化が兆しています。1980年代以降の美術、具体的には80年代のアメリカで展開された「シミュレーショニズム」と呼ばれる美術動向においては、独自の新たな表現を創出することにかわって、先人が描いたイメージを利用する表現が重要な位置を占めるようになっています。  当館は、これまで「戦後のアメリカと日本の現代美術」を収集方針の一つに掲げ、積極的に収集活動を展開する一方で、数多くの現代美術の展覧会を開催してきました。今回、当館の開館20周年記念展として開催する本展は、こうした当館の20年にわたる美術館活動の集大成として実施するもので、引用の美学を創出したマルセル・デュシャンから、日用品のパッケージや映画スターの広告写真を引用したポップ・アートの旗手アンディ・ウォーホル、また社会に流通する紙幣を複製した赤瀬川原平、さらに過去の名画を参照するシンディ・シャーマン森村泰昌ら約23名の作家による約135点の作品を通して、これまでまとまったかたちで検証されることのなかった美術とコピーの可能性について広い視野から検討を加えます。

そもそも広く「コピー」という手法は、その此処の問題意識は様々なれども、「ポストモダン」という時代においては主流ともいうべき動向であり、この展覧会の切り口は決して目新しいものではないと思います。といっても実際には本展のように正面から取り上げた展覧会はこれまで開催されてはおらず(「真贋のはざま」がありましたね、そういえば)これはこれで有意義なものだと個人的には思いました。実際、シンディー・シャーマンの「アンタイトルド・フィルム・スティル」と森村泰昌の一連の名画シリーズを同時に観賞したのは中々刺激的でした。どちらもそのアイディアが特筆されることが多いのですが、実際のところ両者共に職人的な技術に裏打ちされているからこその作品の強さががあるな、という印象を受けました。シンディー・シャーマンとかも何気ないですが、計算された画面構成がバシッと決まっています。
さてさて、個人的に本展のハイライトと言えば、卒業論文でも取り上げた立石大河亜の『昭和素敵大敵』です。正直に告白すると卒論で取り上げたにもかかわらず実物を見るのは初めてでした。。。実際観たところ、かなり細かい所まで書いてあったりして、近づいてみるのと接近してみるのとではかなり作品の印象が違う。ただ惜しむらくは、作品の横に掲げられていた解説パネル。この作品は大衆芸能から美術作品、社会的なものまで、様々な既存のイメージを引用し、「昭和」という全体を構成するという作品。この解説パネルではほとんどの引用元が記されてしまっていました。やはり、隣にいる人と「これあれやない??」とか何とか言いながら観賞するのがこの作品の醍醐味なのではないでしょか?
あと小沢健氏の『醤油画資料館』が印象的でした。醤油を画材として使用し、数多の著名な日本画を複製して、それらを展示して架空の美術史を紡ぐというもの。いわゆる日本美術史をコピーしてしまったわけです。
暑い日にもかかわらず思いの他多くの方で開場はにぎわっていました。作家達のネームバリューによるものでしょうか?しかし、解説パネルでもしきりに強調されていた「連鎖するコピー」という状況の中で鑑賞者の役割は非常に大きいと個人的には考えています。「コピーの時代」を客観的な目で批判的に整理していくことが重要となってくるのではないかと考えた次第です。