引き続き澤田知子

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拝読感謝です。写真論に関してはまだまだ駆け出しですので勉強させていただきます。ということでアンテナ登録。そして澤田話を続けます。

田作品、最初の「ID400」と最新作(職業コスプレ)は質の違うものだと思う。最新作ではコンプレックスが生みだす独特の味が消え、「軽み」ばかりが浮き立って見える。母校に職を得て「フリーター」を脱すると、世間から受ける扱いが変わった――そんな体験から「自分」「社会」「仕事」などの関連性について考えるようになり、この最新作が生まれたらしい。しかし、ここで彼女が抱えた「社会的立場と自分自身との相克」はさほど深いものではないように感じる。少なくとも「ID400」で見せた自分の容姿に関するコンプレックスほどには。いや、もとはと言えばこの軽さや明るさこそが澤田作品の魅力なのかもしれない。私は「ID400」に対して必要以上ににどす黒さを読み取ろうとしていたのかもしれない。

というid:totomiさんのご意見にはなるほどと思います。というのも「ID400」が澤田作品を通じてテーマとなっている「外面と内面」を同様にその主たるテーマとしていると考えたとしても、そこにはその拮抗は見られない、いや、まだなりを潜めているように思えるのです。それは「ID400」が衣装化粧をとっかえひっかえ変化させているにもかかわらず、写真自体はモノクロで、その多様な外見は白黒の世界に抑圧されてしまっているという点に由来するのではないでしょうか。そしての衣装も多彩といえども共通して普段着であり、以降の作品に見られるような、社会との関わりは希薄だと思います。一方で「コギャルシリーズ」や「お見合いシリーズ」の画面は物凄く明るい。そして社会内において眼差される対象として自己をさらしています。「お見合いシリーズ」においては鑑賞者に選択を要請すらしてくるのです。「お見合いシリーズ」、お見合い写真とは明らかに異性からの眼差しを享受するメディアであり、そこには「ID400」の自己確認(自己証明)の為の内への眼差しとは逆行する外部への眼差しが見て取ることができるでしょう。写真家としてアイデンティファイされたことによって変化した作品が、今回の木村伊兵衛授賞でどう変化するのか。楽しみです。