「具体」回顧展:兵庫県立美術館

具体美術協会」、通称「具体」は、1954年に兵庫県は芦屋市在住の画家、吉原治良を中心として結成されたグループです。吉原の「人のまねをするな」「今までにないものをつくれ」という指導の元、多くの作家達が既成の「美術」に捕らわれることの無い独特な活動を続けました。そもそもジャクソン・ポロックや、カンディンスキーを想起させるような抽象的な表現が目立つこのグループに於いて「具体」という呼称自体が矛盾しているように感じてしまいますが、機関誌『具体』創刊号によると、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という願いに由来するものだそうです。さて、この「具体」は国内では冷遇されつつも、フランス人の美術批評家、ミシェル・タピエによって世界中に紹介され、国外に於いてまず一定の評価をえます。その後国内外での展覧会を繰り返し、また新たなメンバーを加えながら「具体」は活発な活動を続けますが、1972年、吉原の死を契機にグループは解散してしまいます。

本展では、その活動を便宜上三期に分割し、包括的に「具体」を俯瞰できるような構成になっていました。全体を通じて感じたのは、タピエ氏が彼らにもたらした影響です。彼と出会った後の彼らの活動は、どこかしら大人しく感じられてしまう。言うなれば前期の芦屋公園で開催された「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート」に見られるような「前人未到!驚天動地!奇想天外(本展の売り文句)」なものは鳴りを潜めてしまうように感じられました。それはタピエ氏がフォートリエ、デュビュッフェ等の激しい感情表現を指す為に使った「アンフォルメル」という動向と無関係ではないでしょう。「アンフォルメル」とは第二次世界大戦後、ヨーロッパを中心に極めて強い影響力をもった一連の動きで、フランスをその活動の中心としつつも、当初はデ・クーニング、ポロック、後期にはフォンタナやアシレンスキー等も参加し、極めて国際的な性格を持っていました。また当時パリに在住していた今井俊満堂本尚郎も活動に参加していました。そしてまさに堂本尚郎その人が偶然手にしていた「具体」の機関誌が、タピエ氏の「具体」との最初の出会いだったのです。このことからも、「アンフォルメル」と「具体」は密接に関わっていることが理解できます。タピエ氏との出会いの後、――この展覧会でいうところの中期――「具体」の作成する作品の多くがこの展覧会を見る限り絵画作品だったようです。それらの絵画作品はまるで「アンフォルメル」の絵画作品を見ているかのような既視感を覚えてしまいます。といっても「具体」のアトリエとして利用されていた「グタイピナコテカ」を再現した一室で上映されていたビデオ曰く、白髪一雄の天井からぶら下がった紐につかまり足で描く絵画や吉原(だと思う)が作成した、ラジコン(というほど立派なものではないけれど)で描く絵画のように行為としての絵画という目線で見れば、前期で見られるような一種の「遊び心」を垣間見ることも出来ますし、むしろ再現された「ピナコテカ」のビデオは美術館側からのエクスキューズと言えましょう。「アンフォルメル」との表現上の類似を見て取るよりもむしろ、「具体」独特の「遊び心」をその行為上の際から見出すことが重要なのかもしれません。前述の「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート」はあまりに見に来た子供達がはしゃぎすぎて連日作家達は作品の修復に追われていたそうです。本展で言う後期('65〜)になるとグループ具体は、沢山の新メンバーを加え始めます。その狙いは定かではないのですが、想像するに「アンフォルメル」という大きな国際的な流れに飲み込まれそうになった「具体」から、その独自性を取り戻すことを目的としていたように感じられます。というのも後期には前期で見られるような「遊び心」が再び前面に押し出されているからです。その中でもいわゆるオプアートのような作品も展示されていたのが興味深く思え、「具体」というグループの懐の深さというものを感じられました。

平日の昼間、そして「具体」という一般受けしない*1であろう展示内容ゆえにかなり空いていました。客層としては、どこかの芸大生といった感じの人たち(話している内容から推測)と、実際に「具体」と時を同じくして過ごしていた人たち(地元だしね)というような二グループ見受けられました。休日とか子供が来たら楽しめるでしょうね。ただ惜しむらくは「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート」に展示された作品群がやむを得ないのでしょうが室内に展示されていたこと。美術館側も気を使ってスリガラスの天井にして日光を取り入れていたみたいですが、真夏の公園にあれらの作品群が展示されているところを想像してみると堪らなく興味を惹かれます。トタン板に穴を沢山あけた嶋本昭三の作品(無題)や金山明のビニールと色水による作品など強い日差しの中で見たらたまらなく魅力的なのだろうなぁ。

*1:件の芦屋市立美術博物館の問題もここに由来する。即ち国際的にも評価の高い「具体」の資料を数多く保管している、という事実と、一方で市民達に親しまれる市民の為の美術館という税金で運営されている美術館の抱える課題とを両立することが出来なかったということだと僕は思う。