卒論への道
弟に参考文献を図書館で借りてきてもらった。うちの図書館には置いてない図書で絶版らしくて本屋にもおいていない。これで想定していた参考文献は一通り手元に揃ったことになる。以前に記したように、卒論ではタイガー立石(立石紘一)という作家を取り上げる。これまで多く語られることの無かった作家ではあるが、注目すべきである作家である。彼の死後回顧展が多く開催され、それに伴ない研究も進み始めている。その中でも「メタモルフォーゼタイガー」という回顧展に寄稿された天野一夫氏の文章は示唆に富んでおり、立石を考察する上で極めて参考になる、数少ないまとまった文章である。しかし、この文章でも、かつて立石について語られた幾つかの言説も、彼の作品の持つ性質を「視覚交通の豊かさ」といった観点で語ることに終始しているように思われる。というのも、立石の作品のもう一つの重要な性質として「ナンセンス」というのを提言したい。確かに、これまでのどの言説もナンセンスという語は頻繁に立石の作品を形容する際に用いられている。しかし、そのナンセンスが何を成しているのか、そしていかに成されているのか、さらには、「視覚交通の豊かさ」とどのように関わっているのかは注視されていないように思われる。それゆえ、今回の卒論では、天野氏の言説を踏まえながら、ナンセンスと言うキーワードを手がかりにすることによって理解をより深いものにすることを目的とする。