「場所性」の瓦解

トーク・イベントは無事終了。宵山で混雑する中ご来場下さった方、本当にありがとうございました。さて、トークの最後に話そうとしたけれどもわちゃわちゃして上手く話せなかったこと。場所に根差さないアイデンティティの在り方についての話題です。結局整理できていないけれども整理できなさとして。
今回のイベントで全体的な議論を通じて僕が強く感じていたのは、アイデンティティと土地とが密接にかかわっている、ということ。佐藤さんが本の中で繰り返し論じられているように、近代以降のアイデンティティ形成において、ある場所の表象〈トポグラフィ〉が――それが実際にあるものであれアノニマスな風景であれ――果たしてきた役割は大きい。トポグラフィは、自分たちの馴染み深い空間と馴染みのない彼等の空間とを想像的に弁別する役割を果たす。
あの時に僕が思い出していたのは、読売新聞に掲載された写真家の畠山さんの次のような言葉(その時は曖昧にしか思い出していなかったけど)。東日本大震災の直後、畠山さんが故郷の岩手に立った時のこと。

家並みや店舗、心理的な空間を形作っていたすべての細部は消え、まるで道路だけが記された地図のように見えた。今回起こったことは「変化」ではなく「切断」だった。

ある場所を馴染みある空間として認識する心象地理が脆くも崩れ去ってしまう事態。津波による瓦礫を目の当たりにし、想像的に構築してきた「場所性」が瓦解していく事態。「私達」と「場所」の親和的な繋がりが無理やり切断されるという事態。こうした「風景の反乱」(と呼んで良いなら)に抗う意味でも、土地に根差さないアイデンティティの在り方について考えを巡らせる必要を感じたわけです。けれども、上手く説明できず、かつ、そういう話題を口にする資格が僕にあるのかどうかわからずわちゃわちゃしてしまったわけです。以上、反省もかねて。