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現代アートと写真

「インシデンタル・アフェアーズ うつろいゆく日常性の美学」(@サントリー・ミュージアム天保山)を見に行く。明るい展示室と暗い展示室がうまい具合に対比されていた。選出された作家は、有名どころから若手まで幅広い。じっくりと作品を見ていくと、様々なモチーフが作家を超えて繰り返し登場するように展示に気を配っていておもしろかった。冒頭のティルマンスの《Freischwimmer》から始まり、たゆたうような流動的、あるいは反復的と言えるような作品が並ぶ。写真に関して言えば、デマンドの作品を見ていて思いついたのが杉本博司との比較。デマンドの写真が本物っぽいけどウソの写真だとしたら、杉本の――蝋人形とかジオラマとか――写真は嘘だけど(だからこそ)本物っぽい写真。どちらも比較的大きな写真。デマンドと併置してあったのが横溝静の作品。「見る者」と「見られる者」の関係、あるいは窃視症的な欲望をコンセプトにした作品。とはいえそこで示されているのは単に一方的な眼差しではなく、覗いている方が覗いている自分を強く意識してしまうような、相即的な危ういバランスの中で交わされる、あるいは交わされない視線の在り方。「ディスタービア [DVD]」を思い出した。この映画も、一方的に見ていたはずが受動的に出来事に巻き込まれていく話だった。また、木村友紀の作品は、何時何処で誰が撮影したのかをアイデンティファイ出来ない写真、有り体に言えばファウンド・フォトをモチーフにしている。バルト的にいえばストゥディウムを欠いたプンクトゥム的な写真を用いているけれども、単にそうした語りえない写真を語りえないままに提示するのではなく、プンクトゥムを展示空間へと展開していく。現代アートの中で写真がどう使われているのか、いろいろ示唆的だった。
サントリー・ミュージアムを後にし、国立国際美術館へ。杉本博司「歴史の歴史」展(@国立国際美術館)を見る。安藤忠雄杉本博司の対談が催されており、ロビーは人で溢れかえっていた。そのせいもあってか展示会場は空いていた。合計200点近くの「作品」が展示してあるものの、その大半は杉本が所有するコレクションの展示であり、杉本の「作品」は30点くらいか。全体のコンセプトは、収集されたインデックスの集積を、自作を含めて展示という装置を通じて、「日本」の歴史を表象しようとするもの。それを杉本博司という個人の展覧会としてやっているところがどことなく怖いと言えば怖い。杉本展はゼミの見学会でまた行く予定。