東京備考録

東京一日目。行きの列車でたまたま映画監督の友人と会い、名古屋までご一緒する。これから山にこもって撮影だそうだ。怪我の無いように。

●ZEIT-FOTO SALON 藤部明子作品展「ヒカリバ 」

写真に写されているのは、水や鏡やガラスといったもの。それを「ヒカリバ」と考えてみると、写真というものが鏡に映ったりするイメージを定着しようという欲望に基づいていたことを思い出す。撮影された瞬間と、改めてその写真を見るという、時間的経過を介在した経験。遅れて届く光。いっこく堂。それにしても藤部さんのカラー写真の色彩は、本当にきれい。偶然、藤部さんともお会いできた。
ZEIT-FOTO SALON

●ASK? タナカカツキ「マトリョ二メ」

ZEITで藤部さんにお勧めしてもらった展覧会へ。この展覧会のもともとのコンセプトは漫画やアニメの原画を展示すること。原画展という形式の展覧会は多々あるけれど、原画というのは、実際に印刷されたり放映されたり流通したりする以前の「型」であり、いうなれば産業廃棄物。産業廃棄物を展示し、一つの展覧会として仕立て上げることは一種のリサイクル運動であり、既にあるものの転用である。逆に言えば新たに何かを作り出す作業ではない。この展覧会では、原画をマトリョーシカでつくり、それを撮影したアニメを流す。展覧会のために作られた大量のマトリョーシカは果たして産業廃棄物か。
art space kimura ASK?

●ギャラリー小柳 須田悦弘

ASK?からすぐのところのギャラリー小柳。今回は須田展。須田さんの作品はいろんなところで見ているけれど、今回が一番近くで見れた。木を加工し繊細に彫刻することで花を作るということ。つまり植物で植物を作るという不思議なサイクル。彼の作品の多くがコンクリートの中でひっそりとたたずんでいるのを見ると、「都会の日常(コンクリートジャングル)の中でひっそりとたくましく生きる植物」と見られないかもしれない。けれども、実はその植物もまた人工物でしかない。人口/自然という安易な二項対立を軽やかに壊すラディカルさ。
Gallery Koyanagi

サントリー美術館 水と生きる

東京ミッドタウン内に新しく出来たサントリー美術館へ。開館記念展覧会の二つ目「水と生きる」。何か聞いたことあるタイトルだと思っていたら、サントリー企業広告のキャッチ・フレーズだった。
コーポレートメッセージ 水と生きるSUNTORY サントリー
「日本美術史」の中から水に関する作品を集め、水と日本文化の関わりを見せる展覧会は、うがった見方をすれば自らの企業を日本文化の正当な後継者として位置づける文化戦略の一環であるとも言える。それにしても良いものばかり展示されていた。円山応挙《青楓瀑布図》が展示代えの関係で見れなかったのが残念だけれども。
サントリー美術館

●21_21 DESIGN SIGHT 「チョコレート展」

これも東京ミッドタウン内のスペース。21_21 DESIGN SIGHTの第一回展覧会「チョコレート展」。ディレクターのひとりである深澤直人がディレクションを担当。ご本人もちらりと見かけた。この展覧会はチョコレートという「共有された感覚」(チラシより)を通して世界を見たらどうなるか?というもの。共有してるのか?という突っ込みは置いておくとして、展示を見ていても正直あまり面白くは無かった。観客の欲望を満たすだけだと、引っ掛かりが無くてつまらない。
21_21 DESIGN SIGHT
東京二日目

東京都写真美術館 「世界報道写真展2007」「FASHION MAGAZINE マーティン・パー写真展」

世界報道写真展はさーっと流してパーへ。ドキュメンタリー/コンセプチュアル・アート/ファッションという個別の写真ジャンルのコードを様々にずらし、それらが曖昧でしかいないということを改めて示してくれる。写真を見る人に、何かあるなと思わせぶりな素振りの見せ方はいぢわるだけれど面白い。ちなみに写真は此処でたいてい見れます。
Magnum Photos - Error Page
展示の仕方、写真の大きさ色使い、きっちり計算されていて面白かった。英国における資本主義文化とか貴族社会とかを知っているともっと楽しめるはず。ちなみにどうでも良いが展示入り口の壁紙はパーの顔だった。
東京都写真美術館
パーを見た後、図書館にこもって改めていろいろ確認。『ヒロシマ』と『ナガサキ』を並べてみると、『ナガサキ』のあの小ささというのはもっと語れることがあるような気がする。しばらくこもって、東大駒場へ行き、表象の方々と対面。迷わずいけてよかった。具体的にいつになるかわからないけれども研究会と刊行物の打ち合わせ。MLでうだうだやるより顔合わして話すほうが良い。その後ラテン料理屋で飲み。自由なのは良いけれども話すべきことはきちんと話したかったというのが感想。その後泊めてもらってる友人宅へと戻り、なぜかそこから焼肉へ。腹いっぱいでもおいしそうなものを目の前にすると腹は減る。
東京三日目

東京国立近代美術館 「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」

寝坊ゆえあまり時間無く駆け足で。ブレッソン最後のディレクション展とのことで、人がたくさん。きっちり枠までプリントされていて、ストレートフォトグラファーっぷりが示されていた。年代別というよりは地域別で展示されているので、同時代に同じ地域を撮影した他の写真家とかと比較したくなる。図録を買おうと思ったけれども、掲載写真があまりに少なかったので見送った。

東京国立近代美術館 「アンリ・ミショー展 ひとのかたち」

なかなか良かった。一気呵成にひかれた筆(鉛筆)の勢いとか、独立した線と点のリズムが見ていて心地よい。

アンリ・ミショー ひとのかたち

アンリ・ミショー ひとのかたち


東京国立近代美術館

●東京横浜日仏学院 特集・特別企画「ヒロシマ、爆風ののちに」

フランス語の東京・横浜日仏学院 (アンスティチュ・フランセ東京) | Institut franco-japonais de Tokyo et Yokohama (Institut francais du Japon)
一階に山端庸介の写真、二階に土田ヒロミの写真が並ぶ。今回はラウンドテーブル 「歴史の中の広島と長崎」を聞きに言ってきた。山田玲子(東友会事務局次長)
西谷修東京外国語大学大学院教授/現代思想)濱谷正晴(一橋大学大学院教授/社会調査論)ミシェル・ポマレッド(司会/フランス・キュルチュール)の四人。原爆というものを単なる社会史的な出来事としてだけではなく、思想的な転換点として議論しようというもの。戦争としての原爆と、主体の経験としての原爆という二つの視座が提示され、基本的にはそれにそって議論されていくのだけれども、どうも、国家批判であったり、最近の若い人論になったりとどこかで聞いた話題になってしまう。質問も一つ一つが長くて少々残念。
日仏会館の本屋で見つけた本。

ヒロシマ独立論

ヒロシマ独立論


抽象的な精神論・国家批判ではなく個人的体験から都市の記憶を語る良書。