「自爆」する写真

今日の写真論の授業は、予定を変更して東松話。

  • 授業の遠足で愛知県美の東松展に行く。
  • 東松研究してる僕がすでに行ったこと。

ここらへんの事情が絡まっての戦略的脱線。
東松はストレートVSピクトリアルというディスクール空間を、宿命的に機能不全に導いており、そのことが東松写真を独特なものにしている。それがドラスティックに炸裂しているのが長崎の写真であり、そこで写真家は「自爆」という火花を炸裂している。原爆写真とは、写せないものを写すという写真における不可能性に対する挑戦の舞台であり、その舞台において、彼の写真は炸裂している。というお話。基本的な落としどころは自分の論と大きくずれてはいないのだけれども、こういう整理の仕方もあるのかと、鱗がポロリ。