Vacuuuuuuuum!写真展評
今回の展示はグループ展ということで若手の写真家、以下の三名が出品していた。
篠崎志保「スローモーション」
「スローモーション」は建築をテーマにしたモノクロ写真群。画面の中心には「建築」に包まれた空間があり、人々が行き交う姿が捉えられる。写真に撮影された空間は、螺旋階段、劇場や空港のロビーといったように、何かしらの機能を備えた施設を捉えたというよりは、何かと何かをつなぐ「通路」といった様相を見せる。幾何学的な構図で撮影されているにもかかわらず柔和な印象を受けるのは抑えられたコントラストゆえ。建築物に優しく包み込まれながらも忙しく行き交う人々の中で、写真家のみが慌しい時間の流れから抜け出しその優しさに気が付いているようである。
近藤寿美子「にぎわいの迹」
「スローモーション」が水平に並べられて展示されているのに対し、他の二人の展示は壁面に写真が散らされるように展示されている。「にぎわいの迹」は廃れた商店街をカラーで捉えている。そもそも「廃墟」と写真は愛称が良い。バルトの言う「それはかつてあった」という写真の時間性をより過剰にしたのが廃墟写真である。「にぎわいの迹」というタイトルから導きだされる「かつての賑わい」との乖離が、古ぼけた店舗の壁や看板のくすみからにじみ出てくる。「スローモーション」とは異なり時間の流れが「にぎわいの迹」にはある。
野寺摩子「左の鼓動」
「左の鼓動」では、優しくも残酷な「時間の流れ」に楔を打ち込む。家族アルバムに見出す自分の祖父(だったっけ?)の幼児期の写真。終わりなき日常を繰り返す磯野家とは異なり、かつてはワカメと同じ年齢だった自分がフネとサザエの間の年齢になっている。モノクロ写真とカラー写真を織り交ぜたこの展示で行われているのは、死や老いといった普段は気が付かない流れに楔を打ち、それを確認する作業である。
グループ展ということで三者三様の展示であったが、個々の作家の意図とは無関係に、自然発生的に関連性を帯びてくるのが面白い。