昨日

国立国際美術館にてシンポジウムをやっていて是非行きたかったのだけど、ぐっとこらえて地元の図書館に。東松照明関係の本が何気に置いてあって、重宝しています。S先生に教えてもらった伊藤俊治氏の照明論が「昭和写真全仕事」に収録されていてチェック。僕の方向性と随分と重なるところが多いのだけれども、最終的に「砂漠のディスクール」(C)S先生に回収されているところがネックとなる。けれども、東松のナガサキの写真を「美しい」といってしまうことの勇気は評価すべき。一方で「美しい」という批判も

原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって

原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって


によってなされているのだけれど。その「美しさ」の内実とその評価というのはポイントの一つになるのだけれども、この両者共にかけているのが、東松のナガサキに対する継続的な態度。今も彼はナガサキに住み撮影を続けている。ここに潜む業の深さというものを引き受けなければ彼の写真は語れないような気がする。
あと借りてきたのは、
映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン

映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン


なんだけど、これって【Internet Photo Magazine Japan】に連載してたヤツだった。
今日はゼミ。竹内栖鳳の後期の作品について。少しおちる。ごめんなさい。