Skin of the Nation

随分前に注文したのだけれどこないだやっと届いた。

Shomei Tomatsu: Skin of the Nation

Shomei Tomatsu: Skin of the Nation


ここに収められている論文を訳出中。もう少しスピーディーにいきたいのだけれど如何せんうまくいかない。今訳しているものは基本的にビブリオグラフィーが中心になっているのだけれども、日本における東松の写真の語られ方とは随分と印象が違う。どちらかというと国内では「何が写っているのか」に主眼をおいて語られることが多い。が、この論文――に限ったことではないけれども――では「どう見えるのか」というのが重要視されており、そこに基づいて図録の写真も構成されている。
このような差異と原因を同じくするのだと思うのだけれども、東松はこれまでドキュメンタリー写真家、あるいは(広い意味での)リアリズム写真家として語られ続けてきた感がある。しかし、彼はキャラクターPやインターフェイスといった抽象的なシリーズも撮影しているし、さらには映画を撮ったりもしている。東松という「写真家」は「何を撮影」したのかという観点からでは自ずから限界があるのは目に見えている。