写真家東松照明

写真家 東松照明

写真家 東松照明


改めて読み返している。結局のところ、この本では対象を作りこんで演出的に撮影する「メイキングフォト」をいわゆるストレート写真である「テイキングフォト」の余白として位置づけているところがネックなのではないかと考える。つまり「表現」か「記録」かという二項対立の中で写真を語っているのではないか。厳密に考えてみればどちらにも分類可能であるわけだから――全ての写真は「記録」であるといえてしまうし逆に「表現」だとも言えてしまうのだから――逆説的にその分類は意味を成さない。東松の「アスファルト」「インターフェイス」「ゴールデンマッシュ・ルーム」のシリーズと、「占領」「沖縄」「長崎」などのシリーズを同じレベルで考察することが必要なのではないだろうか。その方法論を考えなければならないわけだけれど。といってもあくまでメインの彼の仕事は戦後日本社会を捉えたドキュメンタリー写真であるのもまた事実であるわけで、そこらへんのバランスをどう取るかが難しい。