聴覚的無意識

id:Arata:20041020に関して改めて。遅くなってしまいました。まさにmorohiro_sさんのおっしゃるとおりです。ただ録音機器が一番大きい音を拾うようになっている、というのはそれはそれでまた面白いことだと思います。写真における視覚的無意識というある種の異様さを、飼いならすためにカメラは発展してきたと考えられます。ピーター・ヘンリー・エマーソンの自然主義写真、焦点の差異をつけて肉眼での知覚により近いような写真を撮るとかもその流れで考えられるかもしれません。何よりファインダーっていうものの存在は大きいかもしれません。写真の技術史に関してはまだまだ弱いので勉強しないといけませんが。同じように、聴覚的無意識っていうのを飼いならすために、録音機器っていうのは一番大きな音を拾うように設定されていると考えられるのではないでしょうか。
蛇足:影山光洋の記録写真について現在調べていますが、彼の場合、トリミングとかそういう趣向的なこと――先の話で言う飼いならし――には一切気を使わずに撮っています。むしろさっと撮ってしまって、その写真を10年、20年後に見たとき、当時は見過ごしてしまうような風景が際立って見えてくるような、そういう効果を狙っているようです。それを一層効果的にするために定点観測写真という手段を用いているのではないかっと。