オアシス

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今日、やっとこさ見てきました。ほんと映画を見に行くのは久しぶりで、パリから帰ってきてすぐに見た「イノセンス」以来だ。
ストーリーは至極単純。刑務所から出たり入ったりを繰り返し貧乏ゆすりや鼻すすりや自分勝手な行動で回りの人々の気分を害してばかりのいわゆる厄介者の男(ソル・ギョング)。ひき逃げの罪で捕まっていた彼が、出所後被害者の娘(ムン・ソリ)に出会う。しかしその娘は重度の脳性麻痺で手足も表情も思うように動かない。そんな二人の恋物語。
こう書くと、厄介者と障害者ゆえの「純愛」ものの映画だ、と思われそうだし、実際ネットを徘徊しているとそういう様な感想が多くを占めている。しかし、そんななまっちょろい話ではないだろう。
そもそも二人の出会いからしてレイプじみたもの、っていうかレイプだし、そしてこの二人を際立たせる為に監督が取った方法は、その周りの人間をこの二人よりももっと<醜い存在>として撮る事だし。
しかしこの映画は時としてファンタジーの様相をなす。その入り口は鏡に反射する光をムン・ソリの視点から捉えたショットだ。彼女の空想の中では、相手の男と同じように立ち振る舞うことが出来るし歌だって謳うことも出来るし象も出てくる。
この<醜い存在>とファンタジー<二人の世界>とのギャップが物語り全体を通じて提示されるわけだが、物語の最初は、二人を「アウトサイダー」として捉えることになる。なにしろ、ムン・ソリの演技の迫真性はかなりショッキングなものだしソル・ギョングの演技も決して心地よいものではない。しかし、物語が進み、<醜い存在>としての周辺の人々が際立ってくるとき、この二人に感情移入することでそれは逆転する。我々はこの二人に感情移入し<醜い存在>という「アウトサイダー」に怒りすら覚えるのだ。しかしこの転換が二度三度と繰り返されるうちにこの「インサイダー」「アウトサイダー」という対立の無意味さ・不毛さに気が付く。その時、ソル・ギョングの「迷える子羊を救いたまえ」という叫びが心に響いてくる。
この映画のポスターやパンフレットの表紙になっている写真(添付してるヤツ)は映画の後に見ると本当に素敵だ。あと、映画の冒頭部に、割れた手鏡に反射した光が、ムン・ソリの眼差しの中において蝶にかわって飛び回るショットがある。このショットはこの映画のファンタジーの導入として本当に素晴らしいと思う。