「美しい」国

先日の美学会シンポジウムでも話の掴みに使われながらも触れられなかったこの本。

美しい国へ (文春新書)

美しい国へ (文春新書)

「日本」という国のかたちが変わろうとしている。保守の姿、対米外交、アジア諸国との関係、社会保障の将来、教育の再生、真のナショナリズムのあり方…。その指針を明示する必読の一冊。

未読ながら、Amazonでの内容紹介によればこのような内容であり、いうなれば首相としての決意表明として読むことが出来るのだろう。ただ、気になるのはやはり「美しい」という言葉。「日本」という国のあり方を「美しい」という抽象的な言葉へと収斂させていくのだろうが、その視覚的なレベルでの具体的な実践としてあげられるのは景観法の制定があげられる。そして平成15年には「美しい国づくり政策大綱*1」が掲げられている。
美学会シンポジウムでは、グローバルと風土というキーワードの下、いうなればグローバリズムの中でローカリズムを考えると言う趣向をもとに議論がなされた。鈴木博之先生の「建築における空間と場所性」という発表の中で、インターナショナル・スタイルと言うグローバリズム的な建築が批判的に捕らえられ、サイトスペシフィックなものへとむかうという議論がなされていたのだが、いうなれば、グローバルな意匠が世界中を均一化する中で、風土に根ざした場所のあり方を考えようということ。このような意味での「風土」とナショナリズムとが結びつきが、一連の「美しい」という言葉が呼び出される背景にあるのではないか。
その例として挙げられるのが、「美しい景観を作る会*2」だろう。2004年末、伊藤滋らを中心に組織されたこの会は、いまの日本における「醜い景観」を改良することを目的としているようだが、メンバーのコメントによれば、高度成長における機能主義、工業主義一辺倒の都市計画のあり方の反省が前提にあるようだ。しかし、ここで問題なのは、ウェブサイトのどこを読んでも「美しい景観」とは何かが明記されていない点。にもかかわらず、「悪い景観100選*3」がアップされている。ここにあげられた悪い景観、およびそこに添えられたテクストから逆説的に推測するのであれば、その場所との調和、地方都市の歴史や文化を重んじる景観が重視されているようだ。けれども、もちろん本来あるべき伝統としての日本の景観などはあるはずがない。
ただ、このサイトにアップされている「悪い景観」の写真――リンクミスがいくつかあるが――が妙に写真写りが良いと感じるのはどうしてだろうか。もちろんその背後には森山大道の新宿や、中野正貴の『東京窓景』や『TOKYO NOBODY』、畠山直哉の都市写真などの記憶があるのだろうが。あ、あとは甲殻機動隊だったり東京ゴッドファーザーズだったり、映像作品にもこういった「悪い景観」は「場所」を提供しているのだろう。

*1:http://www.mlit.go.jp/keikan/taiko_text/taikou.html

*2:http://www.utsukushii-keikan.net/index.html

*3:http://www.utsukushii-keikan.net/10_worst100/worst.html