備考録〜11月末〜12月頭

自分の研究発表の準備と論文指導・相談で忙殺されているけれども色々見てます。

京都ドイツ文化センター共催講演会「ドクメンタ12を振り返って」

何かと話題に上るドクメンタ12。そのキュレーターが実際に話をしてくれるという公演会。話題は準備段階における具体的な報告で、核となるところがあまり聞けなかったのが残念だった。ただ、気になったのは、キュレーターが頻繁に口にする、脱西洋中心型展示という態度。こちらからするとその態度こそが西洋中心的に聞こえてしまう。地政学的な先入観、ある種の偏見的なカテゴリー、ランク付けといったものを排除し、これまで関連性が無かった物に対して新たな関係性を構築しようという試みが今回の展示方法のコンセプトとのこと。これまでの政治的なアートのあり方を脱構築し、アートが本来持っていたはずの姿を再び発見するように促すという啓蒙的な姿勢は、どことなく楽観的で居心地が悪かった。

グループ展「small-ness」

    • 於:むろまちアートコート(京都市下京区室町四条下ル)

タイトルが示すとおり、非常に「小さな」作品が並んでいた。明確なコンセプトを打ち出すのでもなく、慎ましやかで、繊細に構築された作品群。何かを新しく作り出すというようなあり方ではなく、既存の何かを微分していくような態度であったり、何かと何かとの間に関係性を積み木のように自在に組み合わせていくような態度であったりと、軽やかである。作品と作品との間が非常に広く取られており、ゆったりと見ることが出来る。

今村綾展「SCOPOPHILIA」

    • 於:ヴォイス・ギャラリー

女性が逆立ちした姿を撮影したモノクロ写真をもとに、幾層ものインクを重ね作品が作られている。逆立ちした女性、その重さを支えるねじれ曲がった女性の腕、女性の全身を巨大なフレーム内に収める縦長のイメージ、インクが堆積した作品の重厚感、作品の断層を見せ付けるように穿たれた裂け目、さらに裂けた部分が垂れ下がっている。逆立ちしている女性が全身で感じているであろう、地面へと引き摺り下ろすような強い力を、作品そのものが体現している。展示されていた作品が全て縦長の構図で構成されているのもその為であろう。黒い巨大なフレームが強烈な存在感を示し、その宿命的な重力の呪縛からの逃れられなさを体現しているかのようでもある。一方で、作品に近づき、堆積したインクの物質感、意図的に作り出されたひび割れ、剥落といった作品の表面を精査するように覗き込む快楽もある。めくれた表面を注視してみると、そこにはモリス風の文様があしらわれていることに気がつき、ちょっと嬉しい。

あとは、写真美術館の東松照明展、ギャラリー・フロールでの鏡展も見てきた。こちらはまた期を改めて。