Taipei Biennial: Dirty Yoga(1)

さて、今回の旅で個人的に一番楽しみにしていたのが台北ビエンナーレ。釜山、光州と二つのビエンナーレを昨年の秋に見てきたこともあって、アジア・ビエンナーレ・ラッシュの締めを飾る台北ビエンナーレに足を運べたことは非常にラッキーだった。さて、先述した二つのビエンナーレは、多文化主義的な作品が多くを占めていた。ジェンダーや負の歴史、民族や国家、伝統と近代化といったような、社会的に動機付けられた作品が多く目に付いた。それゆえ見る側は、自らの属する社会をどうしても意識してしまい、作品ごとに自らの立ち位置を考え直すことを要請されるようだった。また作品数も多く、身体的にも精神的にもハードで緊張感に満ちたものだった。
けれども、今回の台北ビエンナーレは全く異なった様相をなしていた。まず、規模が小さい。釜山ビエンナーレがあちらこちらに会場が散らばっていて、都市全体が会場であるかのようであり、光州ビエンナーレが広大な敷地と建物の中に所狭しと作品が凝縮し展示されていたのに対し、台北ビエンナーレの会場は台北市立美術館のみ。しかも最上階は現代水墨画展を開催しており、実際のところ、台北ビエンナーレといえども一つの企画展であるかのようだった。作品数もそれほど多くない。しかし、作品数が少なく、規模が小さいものの、展示は丁寧で、作品一つ一つが然るべきスペースを設けられ、贅沢な空間の使い方をしていた。
また、個々の作品のテーマは、確かに社会的なテーマを背後に秘めてはいるものの、ただ問題を声高に悲観的に訴えかけるのではなく、時にユーモラスに、時に冷笑的に問題に距離を取っている。いうなれば多文化主義の次の段階が提示されていたような印象を受けた。