藤田嗣治

ゼミ春学期最終日ということで、ゼミ後京都近代美術館で開催中の展覧会、藤田嗣治展見学会。藤田は東京美術学校卒業後、パリに渡り、エコール・ド・パリの作家たちと共に絵を学ぶ。その後、メキシコを中心に中南米を旅行、日本に帰国し従軍画家として戦争画を描く。第二次大戦後は再びフランスに戻る。今回の展覧会は、時系列順に作品が並び、断片的にしか知られていなかった藤田の画業を、総合的に展示したもの。
パリに渡って直ぐの初期の頃は、モディリアーニやピカソから学ぼうという意思が強く感じられるのだが、以後のいわゆる乳白色の裸婦を描いたタブローに至るまで一貫しているのは、奥行きを消そうという力学が働いている点。背景一面に布を敷き詰めたり、壁を正面から描いたり。あるいは背景=地とモチーフを同じ質感で描くことで、図と地のコントラストを希薄にしていったり。
それはメキシコでの絵画でも同じで、ディストーションが頻繁に見られる。一方で、メキシコを描く藤田の目は、パリ時代とは異なり、当地の風俗や風習を取材しようという意思が強く感じられる。パリ時代に培った様式を捨て、ゴーギャンを思わせるような強い色使いで、人々の服装や生活をカラフルに描き出す。
日本に帰国した頃の絵画を見れば、あからさまな日本回帰的なモチーフが描かれる一方で、まるで魚眼レンズで覗いたかのようなディストーションは一貫して画面を支配している。有名な、群猫を描いた絵などが好例である。
しかし、従軍画家として描いた戦争画において、画面は眺望的な様相が前面に押し出されてくる。一定の地点から画面内の世界を眺める視点が採用され、画面奥へと観者の視線を誘っていく。人物描写も、これまでのモディリアーニ風の顔付きから、非常に写実的な描き方へと変化する。けれども、やはり圧巻なのは『アッツ島玉砕』。上部は、山々が画面奥へと向かい連なっているが、画面全体のコントラストは押さえられ、奥行きを遮る形で画面の大半は茶色で覆われており、離れて眺めている限りでは、混沌とした茶褐色の塊が画面内に渦巻いている。が、近づいて画面を注視していけば、そこでは沢山の兵士たちが重なるようにして入り混じっており、敵味方、生死の区別ははっきりしない。唯一画面に方向性を与えるのは、兵士の持つ刀で、画面右下へと眼差しを導いていき、その先には死体が折り重なっている。
その後パリに戻った嗣治は、まるでペンで描いたような細く細かい線で子供や動物たち、宗教画を描いていく。ただ、新たな画風を展開しようという意思はあまり感じられず、どことなくおとなしい印象を受ける。かつて、パリではエチゾチックな自らを売り出し、――自画像は、椅子に座らず胡坐をかいた姿で描かれ、墨と硯といった日本的な記号が描きこまれている――日本とパリとの間の緊張感を保っていたのだが、日本に失望し、フランスに帰化した藤田は片方の極を失い、宙ぶらりんになっているような印象を受けた。

生誕120年 藤田嗣治展 〜パリを魅了した異邦人〜(京都展)

会期:平成18年5月30日(火)〜7月23日(日)
会場:京都国立近代美術館
時間:午前9時30分〜午後5時
(金曜日は午後8時まで開館。入場は閉館30分前まで)
月曜休館(ただし7/17は開館し、翌7/18は休館)