嫌われ松子

下妻物語」の中島哲也監督ということもあり、息抜きに「嫌われ松子の一生」を見る。


本当に次から次へと良く見る顔が画面に現れてくる*1。豪華な顔ぶれの俳優は皆一様に、演技も衣装も化粧もこれでもかというくらいに過剰。ただ、演技に関して言えば、テレビで普段目にしている彼らがより過剰なのである。劇団ひとりはテレビで見る以上に「劇団ひとり」だし、大久保さん(オアシズ)はより「大久保さん」だし、カンニング竹山はやっぱり切れてるし、土屋アンナはやっぱり(?)ヤンキーで投獄されてるし、片平なぎさはやっぱり犯人を追い詰めてるし。


物語の構造は極めて単純で、「束の間の幸せ」から「人生が終わるくらいの絶望」への展開の小気味良い繰り返しである。ところどころに挿入される歌は、事の顛末を凝縮し、二時間という短い時間で一人の一生を描くことを可能にしている。歌の部分を含め、反復を表現する映像は、「下妻」と同じように独特でポップ。幾度と無く犯人を崖へと追い詰める火サスの片平なぎさが、反復を補強するのが笑える。


さらに花とか室内の小物とかゴミだとか小物も過剰だし、夕日などの光の使い方や、CGによる演出も凝りに凝っている。そして、テレビからの情報も大量に流れてくるなどして、その時代時代を示してくれる。ボーリングブームとか、オイルショックだとか、ユリ・ゲラーとか、人類初の宇宙飛行とか、光ゲンジとか、団子三兄弟とか。


このように、画面からはこれでもかというほど過剰に情報が投げかけられ、中島哲也らしいポップな映像と歌で明るく楽しく「幸せ」と「絶望」との小気味良い反復を彩っている。にもかかわらず、中谷美紀演じる松子の一生は全体的にアクが強く暗く重い。最後なんて信じられないくらいに酷い。酷い内容がポップで小気味良く明るい形式で語られるという、内容と形式のズレがこの映画をシニカルで独特なものにしている。


他のタレントが「タレント」を自演しているのに対し、主役である中谷美紀のみが「中谷美紀」からどんどん逸脱していく。最初に画面に登場する中学教師の中谷美紀は確かに一瞬「中谷美紀」なのだが、それはほんの束の間。終盤の中谷美紀はもはや「中谷美紀」の面影を酷いくらいに微塵も残していない。男に合わせて時代に合わせて服装、髪型もどんどん変化する。最後には体型までも変化する。にもかかわらず顔はいつもテレビで見る綺麗な「中谷美紀」なのである。他の家族が歳を重ね、しわが増えていくにもかかわらず、23歳の時も53歳の時も松子の顔は「中谷美紀」なのである。ポップで小気味良い情報過多の画面と、暗い物語の間のシニカルさの中で、顔だけは常に「中谷美紀」にもかかわらず、徹底的に「中谷美紀」から逸脱していく中谷美紀(松子)。彼女は、衣装を変え髪型を変え男を変え、何度も絶望を反復する。彼女まるで独特の色使いで反復されたマリリン・モンロー。


追記:wikiによる「中谷美紀」を見てみると、潔癖症説だとか柴咲コウの姉説とか色々が映画にもろに映画に反映されている。最後はゴミ屋敷に住むし。柴咲コウも出演してて、中谷美紀と見分けが付かなかったし。*2

*1:個人的には一瞬の蒼井そらが面白かった。後は濱田マリの扱いとか。

*2:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B0%B7%E7%BE%8E%E7%B4%80:title]