スミス夫妻の夫婦喧嘩

朝早くおきて、一足お先に映画「Mr.&Mrs. スミス」を見せていただく。強くお勧めすることはないけど、見ても損はしないといった、典型的なハリウッド映画。「トゥルーライズ」に「俺たちに明日はない」を足して、「スパイゲーム」「トゥームレイダー」「ファイトクラブ」がところどころスパイスを効かせるといった感じ。
以下感想。

Mr.スミス(ブラッド・ピット)の正体は、たぐいまれなる直感で数々の修羅場を切り抜けてきた“一匹狼の殺し屋”。Mrs.スミス(アンジェリンーナ・ジョリー)は、最新鋭のテクノロジーを駆使し、緻密にミッションを遂行する“暗殺エージェントのエース”。すなわち、おがたい≪プロの暗殺者≫であることを隠して、平然と結婚生活を送っていたのだった・・・。当然、そんな偽りの毎日が長続きするハズもなく、ある日、それぞれが属する秘密組織からの指令によって、想像を絶するハプニングが巻き起こるのだった・・・。

とのことだけど、いうなれば「トゥルー・ライズ」の現代版(というほど昔の作品でもないけど)といった作品。映画が始まってから二人の生活が始まるまで、わずか10分。あまりに展開が速い。
カウンセリングを受ける二人から映画は始まる。夫婦間のディスコミュニケーションという問題を、――暗殺者という――「秘密」を過剰にすることで描いている。商品的自我によって構築されシュミラクルな世界で生きる二人。彼らの住む家はすべてがソフィスティケートされていて、カーテンにこだわったり、素敵なドレスを着たりして形式的には「理想的」な生活環境が構築されている。
ところが「想像を絶するハプニング」で、二人の秘密が「暴露」され、仲たがいが始まる。仲たがいは、レストランという形式的な場で、形式的な形(形式的なダンス)で解消されそうになるが旨くはいかず、誇張された夫婦喧嘩はいろいろな場所で続く。なぜか二人とも互いの大切なものを燃やしてやるという理由で夫婦喧嘩の場を「家」へと移し、暗殺者らしからぬ派手な撃ち合いが続く。家具や装飾といった記号が派手に破壊されていく。で、武器も捨て身体的なコミュニケーションへと純化されていき仲直り。真っ白衣装を身にまとい「イノセント」になった二人は仲むつまじく朝を迎える。さらにご丁寧なことに二人の形式ばった家も派手にぶっとばしてくれる。家具も家も衣装もなくして記号的なものを取っ払い「イノセント」になった二人。
この映画が面白いのは「秘密」を「暴露」して「記号」を取っ払って「イノセント」になって向かい合えばそれで良し!としないところ。「想像を絶するハプニング」による「暴露」*1そのものも人為的なものであり、「イノセント」な関係も互いの過去が明らかになるにつれて不信感が増す。結局「イノセント」なんてのも「白いシャツ」といった記号に過ぎず虚像に過ぎない。
昔一度結婚していたというブラッド・ピットに対してすねる実は孤児だというアンジェリーナ・ジョリー。スパイゲームで、恋人を助けるために無茶したブラッド・ピット、トム・ビショップを思い出すし、二丁拳銃を振り回しバイクで走るアンジェリーナはトゥームレイダーの両親を亡くしたララ・クラフトを思い出す。ララとトムの結婚と見ればそれはそれで腑に落ちる。
二人を狙う組織との決闘はショッピングセンターへと場を移す。「商品」を破壊しつつスーツを脱ぎ捨てて踊る最後の二人の「ダンス」はものすごく素敵。型にはまったダンスではなく、フォーマルな衣装でもない、二人の「ダンス」。傷つきながら必死に中むつまじく戦う二人はボニー&クラウド。でも結局は「俺たちに明日はない」(←それこそ「イノセントの神話」だ)と言わないところがにくらしい。
最後は再びカウンセリングを受ける二人で映画は終わる。時にはけんかしてもそれでもうまくいくのよ〜っという凡庸といえば凡庸でよくわからないといえばよくわからない結論で夫婦間のディスコミュニケーションは解決される。どちらかというとそこに至る経緯が大切だということなのだろう。思えばジョン・スミスとジェーン・スミスというありきたりな名前であるのも、夫婦問題のひとつのサンプルといった側面をこの映画に与える。*2他人の夫婦喧嘩を覗き見しているような感覚なのだけど、一瞬だけブラッド・ピットがこちらをちらりと見返すショットがあって、バレてるぜ、という感じなのが面白い。

*1:「暴露」のきっかけとなった若造のTシャツが「FIGHT CLUB」なので、彼の役割の二重性は示唆されているのだけど

*2:John Smithというのは日本で言う山田太郎みたいなものらしい