ぶらり写真の旅2日目(23日)

10時に写真美術館前にtatsuya_i氏と待ち合わせ。少し遅れる。ごめんなさい。写真美術館では二つの展覧会を観賞。

ブラッサイ[ポンピドゥーセンター・コレクション展]

ブラッサイの本名がギューラ・ハラスというのを初めて知る。ブラッサイの写真は基本的に夜のパリを撮影した物しかほとんど知らなかった。この展覧会では昼間のパリを写した写真や、落書きを写した写真、ヌードの写真、あるいは彫塑作品なども展示されていて、総合的にブラッサイを見せてくれる。通覧して感じたのは、フレーム内にもう一つフレームを組み込む手法が多々見られたということ。有名な、鏡を利用した写真もそうだし、窓枠や扉、前景に唐突に差し込まれる壁などの直線的イメージなどがそれにあたる。写真を撮ると言う行為を現実にフレームを与えることである、と考えるのであれば、現実を撮った写真は「現実」ではない。彼はそれを「超現実」と呼んだが、ここで重要なのは「現実」と「写された現実」とが異なるという認識を彼が持っていたということである。その差異はフレーム、によって形成、強化されると彼は考えていたのではないだろうか。ブレッソンが瞬間をとどめるというという点に力点を置いていたとするのであれば、ブラッサイはフレームに力点を置き、写真というものを考えていたのではないだろうか。もちろん単純に二極化することは不可能なのだけれど傾向として。

写真はものの見方をどのように変えてきたか 第三部「再生」12人の写真家たちと戦争

二本目の展覧会。この展覧会は、写真美術館が今年一年間を通じて写真史を振り返る企画展の第三部。主として日本における戦争と写真がテーマとなっている。小石清・河野徹・木村伊兵衛林忠彦植田正治・濱谷浩・桑原甲子雄・熊谷元一・中村立行・大束元・福島菊次郎・東松照明の写真が展示されていた。開催時期等を考えると、もっとプロパガンダがキーワードになるような物々しい展示になっているのかと思ったのだけれども、実際に展示されている写真のほとんどが戦後に撮影されたもの、あるいは銃後を写したもの、濱谷や植田のように田舎で写真を撮ったものを締めている。実際に戦争において写真がどのような役割を果たしたのか、という点については取り上げられていないのだ。強調されているのは、戦争という出来事が、写真家にどのような影響を与えたのかという点である。これを「写真史」として提示するのであれば――写真家の意図に関わらず――どのように写真がプロパガンダに利用されたのかという視点が抜け落ちてしまう。写真が様々にイデオロギー操作に加担してきたかを隠蔽してしいまう恐れがあるのだ。その意味でも本展では目新しい切り口はなく、やや新鮮さに欠けたものであったと思う。東松や中村ら戦後の写真家たちの表現に状況論ではなく、戦争がどのような影響を与えたのかが全く明らかにされていなかったのが個人的には残念だ。戦後社会に目を向けたという東松を語る際の言葉は意味を成さない。カメラを向ける先には戦後日本社会しかなかったのだから。
展覧会を見た後、昼食。その後図書室でひたすらコピー。
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写真美術館を出た後は神田へ向かい、古本屋を物色。財布に余裕があれば色々購入したかったのだけれども、じっと我慢。神田から秋葉原へ向かう。棒のようになってしまった足を休める為にメイド喫茶を探す(←オイ)が見つからず、いたしかたなくノーマルな喫茶店に。そこから僕は調布へと向かい、高校時代の友人Gと先輩M*1と夕食。
漫画「NANA」に出てくるジャクソンという店のモデルとなった「JACKSON HOLE」というお店に行くというミーハーな行為を久しぶりに会った故のテンションで行うが、長蛇の列の為あえなく断念。
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近くの居酒屋へ。先輩Mは一年前くらいに下の名前を改名したとのこと。理由は以前の名前では性格がきつすぎるので、やわらかくする為だそうだ。シニフィアンシニフィエ、言霊信仰と色々考える。そこから「羊をめぐる冒険」に出てきた、船には個々に名前をつけるが、電車には差異化のみを目的とした記号的な名前しかつけられないという話へ。そして名づけという行為が背景に文化的な状況があるということや、名づけの魔術的な性格の話。その他諸々を。近況報告を交えつつで怒涛のごとく喋りまくる。話ははずむも、時間切れでお開き。Gとはそのまま調布で、先輩Mと新宿へと一緒に戻り別れる。また会いましょう。新宿駅でtatsuya_iと落ち合い、漫画喫茶で夜を明かす。
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三日目、四日目はまた明日更新。

*1:どうでも良いが、R.G.Mと、出てきたイニシャルは全て名前の方。苗字は偶然にも全員Kになってしまう故。