写真史

部屋の掃除。ブログのレイアウトをいじる。そのご写真論の授業の復習。「ストレートの神話」をキーにして写真史を概観する。写真というものが「ありのまま」「裸」の現実を映し出すという言説は写真の誕生からしてあった。その一方で、写真を絵画の美意識の延長にすえて考える、いわゆるピクトリアルな意識というのもあった。単純化した図式ではあるが、この対立で考えると、シャーフスキーの「鏡と窓」という概念もここに当てはまるし、いわゆるデジグラフィというものも、ここに組み込まれるかもしれない。
しかし、そう単純に図式化するわけにもいかない。シュールレアリズムがアジェを召還する際に、あまりにありのままに現実を映し出すゆえに人間の意識ではとらえきれない現実をそこに見出した――つまりストレート写真として――にもかかわらず、他のシュールレアリズムの写真は、ピクトリアルと考えられていたりもする。個々の写真(家)に眼を向けていけば、単純に分割できるものではないということは念頭に置かなければならない。特に30年代から40年代の写真家達、アダムスやストランド達は、ストレート写真を語るけれども、しかし、実際には絵画的な画面を志向しているし、理論と実践の矛盾は指摘すべきだ。そこに意義を申し立てたのがフランクやクラインのスナップショットというあらたなストレートの言説と言えるだろう。以上走り書き。