美術館

今日放送された『クローズアップ現代』は「公立ミュージアムの危機」という内容でした。以下乱暴な要約。
現在川崎市民ミュージアムや芦屋市立美術博物館が経営困難に陥っている。その原因として以下のようなことが挙げられる。公共事業として莫大な資金を投入され、「名作」をずらっと並べた美術館は、開館後のコンセプトを定めることなく入場者を確保することが出来ず、財政上のお荷物となってしまい、現在破綻を来たしている。といったもの。
まぁ、よく聞く話です。で、番組はその解決策の一つとして、市民に応じた美術館というコンセプトを提案します。その一例として昨年開館した金沢21世紀美術館を挙げ、この館がいかに市民を中心に考えているのかが説明されていました。つまり、これまでの公立美術館は市民を無視した美術館活動を行ってきたけど、これからは市民レベルで考えよう!という提案です。
ただ、この種の議論でいつも不可思議なのは、(その)美術館が本当に必要かという議論が回避されている点。「美術館はお金に変えがたい文化的価値がある」ということを前提として議論を進めていくことが多い点です。先の集中講義でも先生がしきりに繰り返していらっしゃったし、また実際の日常生活において常々感じざるを得ないことなのだけれど、やはり現代生活における美的(感性的)経験を考えた場合、音、イメージ、フィクションといったものが街中に溢れている状況は確かだと思う。そんな中わざわざ美術館に足を運ぶという行為に対して市民レベルで必然性を与えることは可能なのだろうか。美術館がこれまで観客に対してとる態度として、「教育」という機能があった。このような一般に「教育・普及」と言われる機能を重んじる態度を捨てない限り美術館は駄目だと個人的には思う――もちろんここでいう「教育」という語の解釈にもよるけど、僕はこの語を「良い趣味」を持つ人間を育てることだと考えています。エンターテイメント性というのをもっと重視しないと、と思うわけです。