授業

今日は物凄くハードな日。三限は京大のI先生。四限は阪大のO先生。どちらも美学界隈では大物といわれる先生方。難しいことをわかりやすく説明していただける。院の授業は少人数なので、各人の研究対象に照らし合わせて解説していただけたりもするので聞いていて物凄くスリリング。三限の授業では、I先生が今年七月にあった国際美学会で発表された内容を説明していただいたのですが、これが写真行為論と物凄く重なるところがあって興味深い。とくに二限のお邪魔しているid:morohiro_sさんの授業で中平卓馬のビデオ、日曜美術館のそれ、を見ていたので、重なるところが多かったです。つまり世界となじむための写真行為。言語へのシステム化とはまたことなったアプローチの方法。まさにイメージそのものによるイメージの解釈と言えるのでしょうか。
最近学会や、授業で美学、もとい感性論に触れる機会がいつに無く多い*1こともあって、現代感性論というものが目指していることというこのが尻尾ぐらい見えてきたような気がします。それは決して芸術だとか美術だとかに限定されうるものではなく、人間の活動そのものにまで及ぶものなのでしょう。その枠組みというものを写真というものを通じて考えると面白いかもしれない。写真行為論というものを、考えるのにしても。

*1:美学芸術学専攻なのに…