「変身写真」に関して。
さとうさまのコメントを参照に覚書。
イポリット・バヤール(1801-1887)は巴里で大蔵省の役人をしつつ、アマチュア発明家でもあった。ダゲールがダゲレオタイプを発明しそれがアカデミーで認められた1839年8月19日より以前にバヤールは直接陽画法というダゲレオタイプとも、また同時期に発明されたカロタイプとも異なる手法による写真術を発明していた。同年6月24日に世界初の写真展を行っていたのだ。ダゲレオタイプの発明が世に報じられたのに対して彼は、我こそが真に最初の発明者だ、ということをアカデミーに主張したのだがしかし、これを無視された。そして8月19日に正式にダゲレオタイプは写真の発明として発表され、彼の発明は日の目を見るに至らなかったのである。このような仕打ちに対して異議申し立ての手段として彼は翌年、1940年「変身写真」=diretorial modeを撮影した。≪溺死者に扮した自画像≫がそれだ。その写真の裏にはバヤール自身の筆でこう記されていた。
あなたがご覧の死体はバヤール氏です。アカデミーも王様も彼の写真を見た人は誰もが称賛した。賞賛はバヤール氏に名誉をもたらしたが、それは一文にもなりません。ダゲール氏に金をやりすぎた政府は、バヤール氏には何もしてやれないと言いました。そしてこの哀れな男は身投げをしたのです
奇しくもid:totomiさんが話題にしたように、『「誰のための」「何のための」変身なのか…という視点』というのがここでは非常大切になってくると思います。すなわちバヤールの場合、
- 誰のために/誰に向けて…(想定される観者)
- アカデミーに向けて
- 何のために/どういう意図をもって
- アカデミーを非難するため、と考えるのが筋だろう。
ということが言えるだろう。さて、これらは如何に画面に表れているのか、如何にして目的達成―目的が前述の通りだとして―を試みているのか、そしてそれは写真というメディアを通じて行われたという点に留意するとそこから写真のどのような特徴が見えてくるか。等が考察できるだろう。まだまだ紋切り型の判断しか出来ないけれども、面白い話題なので調べていきたい。この写真前後の彼の写真なども見てみたい。