メモ

科学技術の発展なくして発明されることは無かったであろう写真が果して絵画と並ぶような芸術形式なのかという問題は、写真の歴史を見る上で、早い時期から写真家達の関心事の一つであった。それが最も顕著に表れたのが、19世紀後半から20世紀前半にかけて欧米を中心に席巻した写真運動であるピクトリアリズムだった。日本では、明治26年にロンドンカメラクラブから296点の作品が到着したことにより初めてピクトリアリズムがもたらされたとされている。
 ピクトリアリズムの運動は、ピグメント印画法(絵具を用いた印画法)や極端なネガの修整、軟焦点(ソフトフォーカス)による撮影など、写真が本来的に持つ機能である再現的、記録的機能とはまったく無関係に写真機を使用した。日本に於いてはその作品は「芸術写真」と称され裕福な階層を中心としたアマチュア写真家達がその担い手となった。彼らは数多くの写真団体と、写真雑誌を生み出し、現在にも続く写真環境を作り出した。当時の代表的作家に、野島康三、高山正隆、福原信三、淵上白陽等がいる。
 しかし、昭和に入るとヨーロッパから新たな写真運動が(モダニズム写真)流入してくるにつれ、ピクトリアリズム(=芸術写真)は非難されるべき対象として、前時代的なものとして捕らえられることになった。この近代化の流れに呑み込まれるように、ピクトリアリズムは衰退していく。