インアメリカ

映画ネタで突き進みます。先日見てきた『インアメリカ』(http://www.foxjapan.com/movies/inamerica/index.html)。ジム・シェリダン監督の実体験を元にしたこの作品。

ニューヨーク――世界中から人々が希望を胸に抱いて集まってくる街。アイルランドから夢を求めてやってきた売れない俳優ジョニーと妻サラは、元気いっぱいの幼い娘クリスティとアリエルとともにハーレムのボロボロのアパートで新しい生活を始めた。どんなに貧しくとも、姉妹にとってニューヨークは新鮮で魔法のように楽しい出来事に満ちている。しかし、ジョニーとサラは息子フランキーの死という悲劇を忘れられずに苦しんでいた。やがて、姉妹の純粋な心と、アパートに住む謎めいたアーティスト、マテオとの出会いが、一家に思いがけない奇跡と再生をもたらすことになる。

実際にも姉妹であるサラ・ボルジャー、エマ・ボルジャーが演じるクリスティとアリエル姉妹は物凄く魅力的です。この二人の為の映画といっても言い過ぎではないかもしれない。といってもこの二人の魅力がこの映画を曲者にしてしまうのです。

しかし見終わった後、ちょっとぐったりした気分になってしまう。いや、決して悪い映画ではない。むしろ質の良い感動的な話です。厄介なのはストーリーテラーとしての姉クリスティが持ち歩いているビデオカメラ。金銭面で決して恵まれていない家族にもかかわらずビデオを所有することが出来るのかという疑問を抱かれるという予想は立つにもかかわらず、持たせられたビデオカメラ。ストーリーテラーとしての役割に加えて、彼女が手にしたもう一つのまなざしによって我々鑑賞者の視線は自然とクリスティーと共有されます。アリエルがその愛くるしさを存分に発揮する一方でクリスティー大人びた冷静さを持つのは此処に由来すると考えられます。しかし一方で大人たちが抱える問題というのは、あまりにありふれた問題であり決して特殊なものではない。つまり我々が(鑑賞者が大人だとするなら)抱える問題なのです。あまりに無垢に過ぎる姉妹にかかわらずあまりに人間臭い大人たち、それゆえ眼差しをクリスティーに委ねながらも大人に感情移入するという、子供の無垢な眼差しと大人の抱える現実的な問題とのある種分裂がここにおこってしまうのです。それがぐったりとする原因なんだと思います。