魚の浄土

帰阪後、やっとのこさポニョを見る。境界がスープのようにドロドロと侵食していき、ニルヴァーナへと溶解していく様、そうした流動性――内容や形式――が最後には、ストップモーションで、まるでシャッターを切られたかのように停止して――ポニョの変態も――固定され、流れは突如断ち切られる。画面全体、映画全体を通じて不気味さを突き付けられた。境界と浄土(黄泉)の視覚的表現としての擬人化の例でもある。