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痕跡と文化と

悩む。昨今の写真論は、かつての写真原理主義、いわばとしての写真に対する批判として、社会的流通というコンテクストによって決定される「意味」とそこに潜む権力を指摘する、といったものが主流。つまり文化的実践として、写真を読むというもの。ただし、そこで写真は完全に「意味」に回収されてしまい、かつての写真原理的な議論(インデックス性)が逆に等閑にされてしまう。確かに写真とはインデックスだ!とむやみに主張してしまうと、結局あらゆる写真に適用可能になってしまうし意味がないし今さらだ。文化的実践とインデックス性とを関わらせて語ることが出来るのか。