写真論

The Art of Interruption: Realism, Photography and the Everyday (Photography, Critical Views)

The Art of Interruption: Realism, Photography and the Everyday (Photography, Critical Views)


今期はこれを講読。今回はイントロダクション。「日常」の背後にある「現実」を暴露する「写真」という図式は、「現実」の向こうにある「シュールな現実」というシュルレアリズム、あるいは「ヨーロッパ」の外部にある「アフリカ、アラブ」という帝国主義的なあり方とパラレルである。外部をめぐる制度という視点から、このようにドキュメンタリー写真を考えることができる。その後、1960年代の表象批判、そして1970年におけるタッグやセクーラのフーコー的な生=政治的な写真論、あるいはクラウスに代表されるような写真の表象批判をたどっても、常に議論されるのは「日常」と「現実」である。それゆえ、あらためて「リアリズム」を考え直そうという本。
ドキュメンタリーは、とりあえず外部を内部へと折り返すもの、と考えることができる。1930年代以降の写真が、対外宣伝であったり観光誘致に使用されていたことは当然のことと考えることができる。報道写真もまた、遠方の地を内部へと折り返すメディアであり、それがまさに帝国主義的な1945年までの日本写真を形作っていた。けれども戦後「占領」という契機において、「外部」を「内部」へ、という図式が成り立たない。「占領」をテーマとした東松照明を独特なものにしているのは、そのような状況なのではないだろうか。