ベッヒャーの正方形

id:BunMay:20070127#p1を読んで考えたこと。ベッヒャー夫妻の写真は大きく分けると、コンセプチュアル・アートの文脈と、(アンチ)ドキュメンタリーの文脈で語られうると思う。これは多くの写真に関して当てはめられることで、「記録:表現」「ストレート:ピクトリアル」と言い換え可能かもしれない。
ベッヒャー夫妻の正方形というフォーマットに即して言えば、それはタイポロジーと呼ばれるグリッド状の展示が前提にあると考えられる。それは展示空間である美術館において観賞される「重工業をテーマとしたアート」として語られうる。また、タイポロジーというのは、類似性と差異とによって、潜んでいる同一性を浮かび上がらせる手法であるとすれば、そこで排除されているのはドキュメントされる対象(出来事)にまつわる物語である。始めと終わりを設定し、物語を要請してしまう線状的な写真の配置をタイポロジーは拒否する。そういう意味でアンチ・ドキュメンタリーとしてもベッヒャー夫妻は語ることが出来るかもしれない。何か、補足にだけコメントしてて申し訳ないのだけれど。