芸術の秋

昨日、休日を利用して色々見てきました。結局時間的な制約があって目的の一つの京都近代美術館で開催中の都路華香展はやむなくパス。またの機会に。

池田孔介「goldfish picture」展(於:Voice Gallery*1

かたどりによって大量に複製された金魚が透明な薄いケースの中にびっしりと詰め込まれ、壁面に展示されている。ケースはまるで絵のように展示され、金魚の層が抽象画のような色彩の妙味を醸し出している。と同時に、ただ観賞の為に生きる金魚を対象としているゆえに、形式的な美しさだけでなく、そこに見るという視覚の問題が関ってくる。展覧会の詳細は池田孔介さんのブログで。id:kosuke_ikeda:20061103

北野裕之 展「目に見えない風景」(於:Voice Gallery)

桜を撮影したカラーや星空を撮影したモノクロ写真の表面に、まるでスポッティングを過剰に施すように油絵の具や水彩絵の具を乗せたイメージ群がならぶ。離れてみた際には、実際の風景と言うよりは心象風景であるかのような幻想的な雰囲気が漂う。写真に写された風景と、実際に肉眼で見た際の印象とのギャップを感じさせるような、また同時にそのギャップを埋めていくかのような作品。

「掌の上の芸術〜明治・大正の絵葉書世界」展(於:京都精華大学情報館フロアスペース*2

昨年、細見美術館で、ボストン美術館のローダーコレクションによる絵葉書展示が開催されるなど、徐々に関心が高まっている初期絵葉書の展覧会。情報館で開催されているということで、小規模なものかと思いきや量、質ともに充実した展覧会だった。大半が木版印刷で、色彩豊かであり、またその内容も画家による当時の流行の様式を取り入れたものから、風刺の効いたものまで、様々に趣向が凝らされていた。絵葉書の妙味もさることながらコレクターの方の熱意の一端を垣間見た気がする。

「懐疑と捏造:アートのジレンマ展」(於:京都精華大学ギャラリーフロール*3

出展作家は七名。全体として何か一つのコンセプトがあるわけではないが、アートのジレンマ展という副題から示唆されるように、それぞれの作家が「日常」と「アート」との間のギャップに対し、様々なアプローチを試みている。普段当たり前に享受している事象を少し異なった視点から眺めるように観賞者を誘導し違和感を抱かせる作品が多かったように思う。その中でも「写真」に関する作品が多かったのが印象的だった。個人的に面白かったのが、アマノ雅弘氏の作品だった。現実の写しとして日常的に享受されている写真が、次第に解体していく様と、解体されながらもそこに観賞者の記憶が補完されることであらたに再生する様が、作品を通じて提示されていた。また、次第に解体していくイメージに観賞者自らの像が写りこみ、自分が何を見ているのかが曖昧になっていく。このような融解の感覚が非常に心地よかった。ところでアマノさんの名前はどこかで聞いたことがあると思っていたら、いつもブログを読ませていただいている方だった*4

*1:http://www.voicegallery.org/index.html

*2:http://www.kyoto-seika.ac.jp/johokan/event/ex_ehagaki/index.html

*3:http://tanjc.net/dilemma/

*4:http://inscape.livedoor.biz/