閉館

mixiで書いたこと。

五年前にこのバイトに入ったときは閉館するなんて思ってもいなくて、ただ単純に映画が好きだったと言う良くある理由で楽しんでいました。『千と千尋の神隠し』の時は尋常でない忙しさで、良く耐えれたな、と今でも思います。

大学院に進学して、後輩との色々な溝がしんどくなって幾度と無く退職を考えました。けれども営業さんや、もう一人の院生の存在が何とか仕事を続けることを後押ししてくれました。

当然だけれども、今振り返ってみれば辞めなくて本当に良かったと思う。イベント前日から終了までの三日間、ほとんど睡眠はとってない。低予算の中、どれだけ自分たちが出来るのか、手作り感あふれる場内装飾だけれども、それが京都ブロックらしさだと五年間働いてきて思う。

どの上映でも終映と共に自然と拍手が起こって、時には笑い声が起こって、ありえないくらいのお客様がこられて、普段ではやらない方法で入れ替え作業をしてもクレームが全然無くて、本当に皆様がこの映画館に様々な思いをもってご来場されているということが実感できました。

70年間の歴史と言うものを僕は知識でしかしらないけれども、それでもイベントでは、その歴史の一端に触れた気がします。たかがアルバイトという身分で、予算もほとんどでなくて、通常通りに給料で、でも70年間の最後を締めくくるために何か出来ないだろうかと考えました。

劇場内の内装は100%アルバイトが自主的に企画して、徹夜で制作して掲示されたものです。東宝という会社が企画したものではないです。もちろんお客様に対して感謝の気持ちを伝えるための展示ではあるのですが、エミさんも日記に書いているけど、あの劇場はお客様が映画をご覧になる場所であると同時に、また僕達アルバイトの場所でもありました。僕達アルバイトが確かにこの場所に存在して、しっかりと働いていたという痕跡を何かしらの形で残したかった。そんな思いの篭った展示企画でした。

70年を締めくくるアルバイトとしてどれだけの働きが出来たのか、わかりません。けれども、このような劇場で働けて、閉館というイベントに関わることが出来たことを幸せに思います。

本当にありがとうございました。

追記
イベント後は内輪でパーティー。一次会について一部非難の声があがっているけれどもここで意見を記しておく。非難する人の意見としては、「頑張ったバイトを労働力としてしか上は見ていない」というもの。心情的に同意はするけれども、パーティーの準備をバイトがしなければいけないのは事前に紙面でアナウンスされていて、それがスムーズに行われていなかったのは事実。準備に精を出していたほかのアルバイトも手伝ってくれないことを怒っていたのも事実。労働力の対価として給料をもらっているのだから。そこに反論するのであればそれなりのやり方はある。立場が違えば大切なものは変わるのだから、どっちが正しくてとちらが間違っていると簡単に言ってしまうのは危険じゃないかな。それよりも二次会の暴挙を許可してくれた営業さんに本当に感謝したい。ああいう打ち上げを許可してもらえるように、それなりに尽力してきたから、叶って本当に嬉しい。願っていた以上のことが実現したし。
二次会は本社支社の方々も帰られて、なじみの顔が並んだ。かつての京都を支えた営業をはじめ、OGOBが集まる。お世話になったということで上のバイトが買いだしに行って場内で宴会。スクリーンに落書きしたり、そこに映写さんが貴重なプリントを投影したり。スクリーンに現れてくる画面は、まるでゲルハルト・リヒターみたいであまりに極私的な体験だけど物凄く美しかった。僕たちの落書きの上に投影される映像。はかなく変化していき移ろい消えていく映像と、僕たちの存在を誇示するかのうように書き殴られたグラフィティが重なり合って、そこにその日閉館する宝塚劇場と、はなればなれになってしまう人たち(営業さん映写さんアルバイト)が重なり合う。残酷な時の流れとそこに抗おうとする無謀な意思のぶつかり合いがそこにあった。最後に幕が下りてそのスクリーンが隠されたとき全ては終わった。
でも終わらせたくなくて一人残って作業。パーティーで出たゴミをゴミ捨て場に運び、「本日ラストショー」の告知をはがし、入り口のイベントポスターを閉館告知ポスターに差し替える。締めくくりはわがままだけど自分でやりたかった。というか単純にまだまだ帰りたくなかった。

mixiではしんみりとしたことばかり書いてしまってて、典型的な燃え尽き症候群状態。そろそろ社会復帰しなければいけない。自分で思っていたよりもあのバイトの存在は大きかったのだな。嫌なことも多かったし、辞めたいことも多かったけれども続けていて本当に良かった。ありがとうございました。