東京へ

美学会一日目

午前の部に研究室の先輩による、岸田劉生についての発表があったのだけれども、間に合わず。仕方なく偶然出会った神戸大の友人たちと東京タワー見物。展望台には金銭上の都合で上らず、蝋人形館だけ見学。最後にマダム・タッソーの蝋人形を持ってくるところにこだわりを感じた。慶応大に戻り、発表を聞く。身体と世界との関係についての発表、絵画と語りについての発表を聞く。
そのあと若手研究者フォーラム。進行が上手くなく、時間通りに進まない。他会場との時間調整などを、もうすこしうまくやって欲しかった。きちんと聞けた発表は、雑誌『ドキュマン』に関するものと、写真における≪detail≫に関するもの。『ドキュマン』に登場する写真があまりに東松の写真に酷似していることを改めて確認。時代も場所も異なるものの、何かしら似た問題意識を抱えていたのかと考えてみる。≪detail≫の発表に関しては、≪detail≫にこだわる意味、そしてその言葉の射程を厳密にする必要を感じた。確かに、今なお「何万画素!」というのがデジタルカメラの売り文句になるように画像の微細さは写真における美徳の一つとして語られているわけだし、面白い発想だと思う。
その後新宿にてプチ同窓会。今となっては語れる恋愛話に花を咲かしつつ、ひたすら食べる。

美学会一日目

写真におけるブレを扱った発表を聞く。綺麗にまとまっていたけれども、さてそれで?というもう一突っ込み欲しかった。写真をその写真がおかれたコンテクストから切り離し、「写真」に内在する要因のみで語ることの困難さ、あるいはそうすることの意味について考えさせられた。「写真」はあくまでも何かについての写真であることを再確認する。その後写真美術館へ。写美に行った後、慶応に戻りシンポジウムを聞く。その後六本木ヒルズへ移動し、森美術館杉本博司展を見て、飲み会。

恋よりどきどき〜コンテンポラリーダンスの感覚(於:写美)

コンドルズ、珍しいキノコ舞踊団ニブロールの三つのダンスカンパニーによる展示。コンテンポラリーダンスをどういう風に展示するのかと疑問だったのだけれども、彼らによるインスタレーション展示だった。ダンスに関してそれほど知識を持ち合わせてはいないけれども、「身体」というものを日常的な所作からずらしていくというのは面白い。自分の身体が「他者化」していくプロセスを味わうことが出来る。

写真はものの見方をどのように変えてきたか 第4部「混沌」(於:写美)

第三部はid:Arata:20050826#p2で取り上げたように、日本において戦争が写真家たちにどのような影響を与えてきたのかをテーマにしていた。にもかかわらず第四部ではシャーカフスキーの「鏡と窓」から展示が始まるように、唐突に取り上げる主体が世界へと広がっていく。未見の第一部、第二部では海外の写真を取り上げていたようだから、第三部だけが地域を限定していたようだけれども、そういう意味でももう少し全体としてのストーリーを練り上げて欲しくはあった。今回の展示に関しても同様で、有名な写真家の名前が多く並ぶがそれぞれの写真は少なく、一貫性が無い。まさに「混沌」としていた。

杉本博司:時間の終わり(於:森美術館

参照≫google:image:Hiroshi Sugimoto
杉本の写真はもはや「ジオラマ写真」が全てであるという、S先生の話はおそらくは正しいと思うのだけれども彼の写真についてはもう少し考えたい。モダニズム建築の写真や、最新作の室内に差し込む光の写真が果たして「ジオラマ写真」と同じ語り方でカバーできるのか。展覧会そのものは素晴らしかった。この展覧会に関してはもう少しきちんとした形で書いてみたい*1

美学会三日目

午前中、広告に関する(実はオリジナリティと複製に関する)発表を聞いた後、京神同大の院生達で上野観光。眼鏡之碑、人形を祭る神社など、萌属性に満ち満ちた地を巡り、上野の森美術館へいき、ジグマールポルケ展、その横の西洋美術館でキアロスクーロ展を見る。夕食後帰阪。

ジグマー・ポルケ展 〜不思議の国のアリス(於:上野の森美術館

参照≫google:image:Sigmar Polke
リヒターを先日見たこともあり、どうしても時代、出自的に比較してみてしまう。リヒターは、写真のうえに絵を描いた。ポルケは写真を拡大し網点をあらわにした。そういう風に見ると、ポルケの絵画の特徴が明らかになる。言うなれば見る者と絵画の距離感が問題になる。近づけば点にしか見えないが、離れると一つのイメージが結ばれる。それは布を張った作品や、魔方陣の作品に置いても同様のことが言えるだろう。

キアロスクーロ - ルネサンスとバロックの多色木版画(於:国立西洋美術館

時間をつぶすと言う理由で入ったけれども、凄く面白かった。キアロスクーロと言う文字通り明暗によって画面に立体感を与える木版画における技法を扱っているのだけれども、レイヤーを重ねていくことで陰影を作り出し世界を構築していく。一枚は線のレイヤー、そして面のレイヤーの二面を使い、地の白を含めた三色で作るのが基本のようだけれども、中には面のみで作る人もいたり、そのテクニックの差が見ていて面白い。ノリとしてはピクトリアリズムと似ているかも。

*1:私信:視文研の皆さん、杉本展の展評を皆で書いてみるというのはどうかな?あるいは杉本論