廃墟

初期の東松照明の写真をじっくり見てみる。彼の初期写真は、往々にしてドキュメンタリー写真として、つまり社会的出来事を独自の眼差しで切り取るものとして語られる。しかし、彼の写真は、傾けられたフレームなど、東松の撮影者としての痕跡が極めて明確な形で画面に現れる。「窓」でも「鏡」でもなく、むしろ「硝子」として彼の写真を見てみると面白いかもしれない。