視(聴)覚文化研究会

一昨日のことになるのだけれども同志社大学で開催された視聴覚研究会。計三つの発表を聞く。今回は視覚文化が主となる発表だったけれども、次回は聴覚も期待。

正月用引札の諸相――新春と顧客確保のメカニズム

明治初期から大正にかけて、個人商店からその顧客間に譲渡された引札に関する発表。引札には極めて鮮やかな色彩で神仙、風俗、花鳥など様々な主題が、商店名とその住所とともに描かれている。それは広い意味では「広告」といってもよいかもしれないが、広く告げないという意味では「広告」ではない。というのもあくまで個人と個人との関わりを強化・保持する為のメディアとして機能したゆえだ。それを発表者はイメージの交話的機能として結論付けている。ただ、ふと疑問に思ったのだけれども、引札に実際に描かれているモチーフ、主題、及びその描かれ方と、交話的機能の関係はどう繋がるのだろうか。

ボルタンスキー『D家のアルバム1939年-1964年』について(id:akfさん)

フランスの現代美術作家クリスチャン・ボルタンスキーが、知人ミシェル・デュランの家族アルバムを複写、編集し壁面にずらりと並べた作品、『D家のアルバム』に関する発表。家族アルバムというメディアの不吉な側面、つまり「物語られない人生」と化してしまいうる側面が、美術館という場――コンテクストから引き剥がされたオブジェが陳列される場――に幾何学的に並べられることにより強化される。結論として提示されていた「記憶の共同体」という言葉は質疑でも述べられていたが、扱いに気をつけないといけないと思う。個人的には家族アルバムというメディアのあり方には興味があるので、参考になった。

インターネットにおける『接触』について(id:seventh-drunker君)

東浩紀氏の『動物かするポストモダン』のデータベース論を踏まえつつインターネットにおける情報のあり方、その引き出され方を取り扱った発表。『動ポモ』を押さえたうえで、ドゥルーズの思想や(今回は軽く触れるだけだったが)ユベルマンのコンタクトイメージを参照しつつ議論を進めていく。個人的にこういった理論的な発表には慣れていないということもあり、やや聞きにくくあった。先の二つの発表のように、前提として最低限共有されうる具体的なイメージが無いところから議論が進まざるを得ないわけだから、プレゼンテーションの方法は難しくなる。


その後は延々と飲み会。id:seventh-drunker君の家に泊めてもらう。次の日バイトなのをうっかり知らなくてしっかり遅刻。申し訳ないです。体力的にぼろぼろの勤務でした。