手のひらの中の風景
久しぶりの更新です。以下のイベントを開催することになりました。
佐藤守弘『トポグラフィの日本近代』刊行記念トーク・ショー「手のひらの中の風景――景観表象をめぐるポリティクス」
- 日時:2011年7月16日(土)18:30〜20:30
- 会場:MEDIA SHOP
- 料金:500円(ただし当日『トポグラフィの日本近代』をお買い上げの方は無料)
たとえば、京都が〈古都〉であるという〈イメージ〉が、いつ、どのようなメディアを通じて〈生み出された〉のかをご存じですか?
江戸泥絵、横浜写真、雑誌メディアの写真図版、芸術写真。これまで美術史や写真史の周縁に置かれてきた一連の「トポグラフィ=場所を描く視覚表象」。佐藤守弘氏の近著『トポグラフィの日本近代』は、それらが同時代のひとびとに手軽に楽しまれた「風景」であったと同時に――おそらくその発信者にも受信者にも明確に意識されることのないままに――武士階級への帰属意識、オリエンタリズム、国民国家の形成、軍国化といった政治戦略の一翼を担うイメージ群としても機能していたことを緻密な資料分析を通じて明らかにする。
今日、私たちが手に取ったり思い描いたりするさまざまな「風景のイメージ」は、いつ、どのような意図で、どのようなメディアを通じて〈構築〉され、当たり前のものとして流通するようになったのか。またそれらは、どの程度まで私たちのものの見方や考え方を規定し、特定/不特定の場所に対して私たちが抱く、憧れ・親しみ・郷愁・嫌悪といった感情にまで入り込んでいるのか。本レクチャーでは著者である佐藤守弘氏をお迎えし、聞き手・参加者の皆様とともにこうした問題を議論していきたいと思います。
「佐伯慎亮×3D」写真展
以前トーク・イベントでご一緒した佐伯慎亮君【WEB SITE】から展覧会の案内をいただきました。東京の方、ぜひ足をお運びください。
写真展『佐伯慎亮 × 3D <京都精華大学ビジュアルデザイン学科>』
- 会期 : 2011年3月3日(木)〜3月12日(土) ※7日(月)のみ休廊
- 時間 : 12:00〜20:00
- 会場 : AKAAKA Gallery 東京都江東区白河2-5-10
- 問合せ : 03-5620-1475 http://www.akaaka.com/
東京、清澄白河の赤々舎で写真展を開催します。写真集「挨拶」以降の写真、「コノキシ」という新作シリーズの展示です。3Dというのは京都精華大学ビジュアルデザイン学科の学生3名。昨年末に同大学で赤々舎の姫野さんとぼくとで数回にわたり行なった授業を通してでき上がった、ぼくの写真をそれぞれの視点からプロデュースした作品も同時に展示します。若い斬新な彼らというフィルターを通して出来上がった作品を併せてご覧下さい。
- トークイベント
- 3月5日(土)17時〜
- 姫野希美 × 佐伯慎亮 × 3D(坂上千夏、坂田吉章、所恭平)×豊永政史
映画を見るという経験とは何か?
幾分、日にちが空いてしまったけれども、トーク・イベントに足を運んでくださった方々、ありがとうございました。『映画というテクノロジー経験 (視覚文化叢書)』は、数年間にわたる長谷先生の映画についての論文を断章形式でまとめたもの。トークの中から、本書で紡がれている思索が、映画を見る(「読む」のではなく)という身体的な経験と、各時代の映画研究・批評の趨勢とが重層的に、時に葛藤しながら相即的な関係を保っている様が明らかになったと思います。その意味で本書は、長谷先生自身の映画を見るという経験のドキュメントでもあるようにも思いました。
【追記】メディア・ショップのブログに当日の様子が報告されていました→リンク
映画を見るという経験とは何か?
2月22日に以下のトーク・イベントに参加します。
長谷正人『映画というテクノロジー経験』刊行記念トーク・ショー
「映画を見るという経験とは何か?」
―映画を見るという経験とは何か?―
映画をめぐる素朴かつ根源的なこうした問いを、リュミエール、山中貞雄、グリフィス、小津安二郎、宮崎駿、塩田明彦などの映画作品が与える身体感覚を手掛かりとして探求する長谷正人氏の近著『映画というテクノロジー経験』。単なる娯楽として消費されてしまいがちな現在の映画の状況に抗い、テクノロジーとしての映画の可能性を開くべく、長谷氏は自身と映画との相即的な出会いの内に、触覚的・律動的・時間的経験を見出していく。本レクチャーでは、著者である長谷正人氏をお迎えし、聞き手とともに「映画というテクノロジー経験」を掘り下げていきたいと思います。
- 作者: 長谷正人
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2010/11
- メディア: 単行本
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- 日時:2011年2月22日(火)
- 開場:17:30 開演:18:00
- 場所:MEDIA SHOP(http://www.media-shop.co.jp/)
- 入場料:¥500
タイムマシン/タイムトラベル
先週末は、研究会「特集:タイムマシン/タイムトラベル」。タイムトラベルというのは、科学的な問題なのではなく、時間を空間として表象するという意味で修辞・表象に関わる問題であり、二つの時間のズレを表象するためには第三の視点が要請され、そうした表象の構築には、表象メディアの特性が深く関わっているといことが全体の要点。歴史的に見て見ると、19世紀後半のタイムトラベル物は、極めて大文字の歴史を参照しており、そこにはマルクス主義的なユートピア思想が色濃く反映している。しかし、質疑の時に質問したことでもあるけど、昨今のタイムトラベルを動機づけているのは、そうした「大きな物語」ではなく、ありえたであろうもう一つの人生の可能性を指向する個人的な「小さな物語」であるように思う。言いかえると、タイムトラベル表象の系譜において、タイムトラベルよりもむしろそこから生じるパラレルワールドの方が相対的に前景化しているのはないか、そんなことを考えた。
ミスト
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2010/02/17
- メディア: DVD
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スティーブン・キングの原作をフランク・ダラボン監督が映画化した作品。得体のしれない霧〔mist〕から逃れるべくスーパーマーケットに閉じこもった群衆の心理を、「地元民」/「余所者」、ならびに「知識人」/「労働者」の対立を基に描く。しかし、そうした実際的な対立はしだいに解消され、「宗教」・「法律(経験主義的?)」・「リベラル」といった観念的な対立へとスライドしていく。最終的に、愛とか信仰心を持つものが生き延び、リベラル・マッチョな主人公が絶望へと突き落とされる。いわば、信仰心の欠落、人間の意志の傲慢さを批判的に描いているわけだけれども、同コンビによる「ショーシャンクの空に」とか「グリーン・マイル」と同じく、何か分かり易く説教臭い感じがあまり好きではない。ただ、群衆を客観的に描くのではなく、手持ちカメラとディファレンシャル・フォーカシングを駆使することで観賞者が群衆の一員であるかのように錯覚させるカメラ・ワークは上手く機能していた。それゆえ、キングの作品によくある、人々の感情的で稚拙な様が際立つとともに、それに相まって主人公の(比較的)理性的な振る舞いが際立ち、観賞者は心理的に彼のスタンスにコミットしていく。そうした過程があるからこそ、最終的な絶望がより効果的に描かれることになるのだけれども、だからこそ、正直しんどい。